このブログを立ち上げたのは、京都学園大学で発生したセクハラ事件への大学の対応が余りにも不誠実だったから、その実態を記録し、被害者の救済と再発防止を願ってのことである。17回の連載で事態を一通り記述できたので、一旦休止した。大学が教育機関としての自己批判と誠実な対応策を立てたかはまったく伝わって来ない。誠実な対応策など立てられるはずがないだろうと思うほどの質しかない。本ブログの8回目に、「第2の被害者になった2期生の卒業式寸前に、卒業生の一人が、自分の名前を明らかにして、この加害教員のセクハラと学部長のパワハラを告発する文書を全学教員のメールボックス入れた。その翌々日・・・内山学長と面談したとき、・・告発文書の内容などはそっちのけで、誰が、どこで・・コピーしたのかとか、メールボックスの所在場所は関係者以外立ち入り禁止であるから、不法侵入で訴えるかなどと真顔で話してきた。・・全学の教員がこの深刻なセクハラ事件を知るところとなったが、教員の誰一人として学生救済に動かず、・・放置された。」と書いた。
この告発文書を書いた女性が1月半ばに急逝されたとの報せが入った。寒い冬の北海道でのできごとである。卒業直前に、自らの名前を名乗り、この大学の教員の不誠実というか、教育者としてはあるまじき振る舞いを知りながら、黙して大学を去ることができないとの思いからの行動であった。こんな学生がいるのだと知り、その後の小生のセクハラ被害救済行動の基となった。そして彼女の真摯な行動は多くの学生達に感銘を与えた。突然の訃報を知った同窓生が各地から葬儀に駆けつけたことからも分かる。彼女の誠実に生きたいとの想いが読経の中で流れていった。若すぎる別れにただ涙である。