2013年12月31日火曜日

自治が消滅する大学

このブログを立ち上げたのは京都学園大学で発生したセクハラ事件への当該学部ばかりでなく大学自体の無責任さを検証し、大学のあり方を大学人に考えてほしいと思ったからである。残念ながら、京都学園大学にはその能力がないことだけが明らかになった。裁判が和解して終わり、当事者はすべて大学と関係ない存在になり、そんな事件があったことさえ忘れている様子がいろんなチャンネルから伝わってくる。教育組織としての大学の終焉であり、反省のない大学ではこれからもこんな事件が頻発するだろう。その理由は「自治」という概念が大学を構成する教員の意識の中にないからである。自治を目指さない組織には自浄作用などが生まれる訳がない。そんなことを考えていたら、京大の現役教員からメールが届き、京大の総長選出を全学選挙から特別組織による指名制に変更されそうだから、反対署名に協力してくれとの要請であった。かつては「学部自治」が重視されたが、最近の様相は大学当局(総長)の命令を実行するのが学部の機能のようである。学部自治などとは死語であり、現役教員はこんな言葉を思い出したことも、まして使ったこともないだろう。自治意識がなくなった組織では自立も自浄も期待できない。
 

2013年12月19日木曜日

新しいブログを始めました

京都学園大学のセクハラ問題を連載し、一段落したので、しばらく休んでいました。この間、滋賀県琵琶湖湖畔に不法に投棄された放射能汚染木材チップ事件に関係していました。この問題は市民環境研究所としての取り組みでありますので、市民環境研究所ブログを起ち上げ発信することにしました。http://shiminken.blog50.fc2.com/をぜひともお読みください。全国でこのような不法投棄などが発生しているかも知れません。皆さんの生活圏でも監視を強めてください。

2013年10月20日日曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-17 20131020


被害者をこれ以上出さないために 
このような経過で一人の若者が亀岡を去った。そして加害教員は解雇され、
平和なバイオ環境学部が戻ったようである。一人の若者と書いたが、同じ加害教員のハラスメントによる傷を負った二人の学生がいたことを教員は忘れてはならない。それだけではない。別の教員のセクハラを受けて、黙って亀岡を去り、故郷に戻って仕切り直している学生もいる。彼女は誰にも話さないことを条件に、そのセクハラの様子を告げてくれた。当時の学部長は為す術を持たず、退職していた小生に加害教員の進退をなんとかしてくれと求めてきた。2010年7月24日のことである。その後、当人と話し合って、大学を去ってもらった。このように、当時の執行部には、学生を教育する場にいるのだとの責任感が見当たらなかったし、次の執行部も、すでに記したように同質、同程度である。
 その無責任さにやりきれなくなった最初の被害学生が、勇気を出して司法に訴えてくれたことを教員は感謝すべきである。そして、その和解書に記された下記の和解条項を真摯に受け入れ、実行してほしいものである。果たして何をするのかと、何ができるのだろうかと、和解した7月以降の大学、学部、全教員の振る舞いを社会や受験生や在学生が見ていることを忘れないでほしい。
 
和解条項
 『○被告京都学園は、原告(被害学生のこと)に対し、京都学園大学ハラスメント調査委員会作成に係る平成25210日付け調査報告書において、被告の原告に対する各行為がセクシャルハラスメントに該当すると認定された事実、同調査委員会作成に係る調査報告書において、「原告のセクハラ申告に対する学部の対応として問題がなかったとは言えない」との結論が出された事実及び京都学園において原告のみならず後輩学生の被害防止について具体的な対策が出せずに被害を発生させてしまった事実を真摯に受け止めるとともに、本件に関して原告が多大な精神的苦痛を受けたことを謝罪する。
○被告京都学園は、原告に対し、全学を挙げて学内でのセクシャルハラスメントの再発防止に取り組むことを約束する。』

2013年10月14日月曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-16 20131013


謝罪なき終結などありえない
 15回に亘って、京都学園大学のセクハラ事例を取り上げてきた。この問題は学園大学としてはすべて終わったと思っているようである。形式的には、加害教員を懲戒解雇処分にし、彼から出されていた処分取り消しの裁判と、被害学生から出されていた裁判の双方を和解した故に形式的にはすべて解決したということである。たぶん学部長も学長も理事長もセクハラ調査委員長も、そしてすべての教員が何も思い出さないで毎日を過ごしていることだろう。ホツパラの日々だけが問題にしているだけと思っていることだろう。和解が成立する半年くらい前だろうか、被害学生の指導副査の教授に出会ったら、「あなたがやっている問題以外にバイオ環境学部ではトラブルはありません」と宣った。この責任ある現職教授にとって、彼の学生が被害を受け、調査委員会に提訴し、当時進行形の事案が自分とは何の関係もない事柄であり、「あなたがやっている問題」でしかなかったのである。まして、一段落した今日、彼にとっては「そんなことがあったかな」ということだろう。検証-9にも書いたように、バイオ環境学部の責任者たちが被害学生に謝罪しないかぎり、裁判で決着が付いたとはいえ関係なく、大学内の問題は終わらない。だから、どのような言葉で謝罪するかは重要であり、その言葉が何かによって、大学のハラスメント対策の今後の方向性が決まると思うから。

2013年10月11日金曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-15 20131011


1年10ヶ月を費やした調査委員会の結論?!

 学部長のパワハラに関する調査委員会の結論は以下の通りである。
 全文を引用する。

 4 結論
 以上のとおり、申立人のセクハラ申告に対する学部の対応として問題がなかったとは言えなが、相手方(注 金川学部長のこと)は、学部長として、申立人のセクハラ申告に対し、適宜調査の上、申告の内容や争点の有無、申立人の意向等を迅速に把握し、執行部会を主導して、学内規定に基づく処理を基本としつつ、申立人に対する教務上、学籍上の不利益を回避するような処置を行うべきであったと言え、この点が今後の課題となることを付言する。

 以上が調査委員会の結論である。学内規定では被害者以外でもハラスメント委員会に提訴できるにもかかわらずできないと言って放り出したこと、教務上や学籍上の不利益が現に発生させたにもかかわらず回避するような処置を行わなかったことをパワハラであると訴えたのである。それなのに、なぜ「今後の課題」と終わるのか。そこには、自分たちが学生の人権を守る立場にいるという認識がまったくない。学生の人権を守れない大学は教育機関とは言えず、今後も発生するであろうハラスメントの被害を受ける学生は、このような質の悪さの中で、放り出される悲劇が続くだろう。

2013年10月9日水曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-14 20131009



何を明らかにしようとしたか分からない調査委員会

 調査委員会は学部長側に立つことを前提としてパワハラの有無を検討しようとし、多くの問題点を内包した報告を作製した。たとえば、「そもそも学部にはセクハラの問題を組織だって解決するルールや迅速かつ適正な処理を行う体制が整っていなかったことが原因と思われる。にもかかわらず、安易に申立人の申告を受け、漫然と調査等を行った結果、被害学生に事情聴取の負担のみを負わせ、・・・申し立て人が求めた後輩の被害防止についても具体的な対策は出せなかった。」と記しながら、「任期制の学部長という役職にある相手方(学部長のこと)の責任のみを問うことは躊躇されると言うべきである」と結論している。なぜ躊躇されるのかはまったく説明されず、そのような学部長ならば執行部や教授会を取り仕切るべきではないと結論するべきでないのかと思う。さらに、「学費の未納による除籍は回避する必要があるとの認識があり、その対策として執行部で資金を出し合って申立人に提供することを協議していたことなどを考慮すると、これもハラスメントに相当する学部長の不適切行為とまでは言えないと考えられる。」と記し、あたかも執行部が学費を被害学生に代わって納入しようとしたかのように印象づけているが、被害学生のまったく知らないことであり、執行部内での単なる会話でしかなかったことを、学生を思いやるかのような演出を調査委員会にしただけである。このようなことを報告書に採用記載しているとは、これが教授と弁護士が書いたものであるとははずかしいの一語に尽きる。このような調査委員会がどのような結論を出したかは次回に記す。

2013年10月8日火曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-13 20131008



 学生は救済せず、学部長は追及しない調査委員会

 京都学園大学ハラスメント調査委員会(委員長 森田敬信)の学長内山への調査報告書(2013210日付け)を見ながらこのブログを書いている。この調査委員会報告書は22ページに亘るものであるが、学部長によるパワハラなどは当初からなかったものであるとの結論を導くために費やされた報告文である。被害者が「パワハラの実態調査と被害者救済」を申し入れたにもかかわらず、大学のハラスメント規定内にある「アカデミック・ハラスメントとその他のハラスメント」の成否について判断するとしている。これは一般教員にも適用される条文であり、被害者が学部の責任者としての学部長による裏切り行為(パワハラ)とは異なるハラスメント条項を適用したものである。だから、この解釈を採用した段階から、学部長によるパワハラはないとの前提で調査は始められた。
 そして、学部長が被害学生のことを思いやっているかのような発言を随所に記載し、パワハラなどはなかったことにしている。例えば、「申立人(注:被害者のこと)は大学院をやめるし、早くセクハラの件を忘れて次のことをしたいという希望であると(注:学部長は)思っており、調査の方針として、申立人にあまり過去の嫌な出来事を思い出させたり、心の負担になることはやめようと考えていた」といかにも学生思いのような文言を引用している。しかし、「大学院をやめるし」と証言したように言っているが、セクハラ被害者がどのような教育環境ならば、セクハラから立ち直って勉学を続けることができるかとの対策を示すこともせず、本人が退学したいと思っていると執行部会議などで発言していた。このような無責任な行為はパワハラに相当すると学部長を訴えたのである。学部長を筆頭とするバイオ環境学部教授会全員への失望から、当然のこととして被害者は「やめたい」心境となったのは事実であるが、退学届けを出すまでは、学部長は勉学継続を可能とする対応をしなければならない。それをまったく怠り、「本人が大学をやめると言っている」と断定するような発言をしたのは学部長本人である。さらに、現学部長となった深見教授の発言(本ブログの検証-4)「被害を受けた学生が、被害を受けながら同じところの大学院に進学するのは理解できない。」など、およそ教育の場にいる人間と思えない多くの発言が被害者をして「やめたい」心境にさせたことが学部全体のパワハラであり、その代表者として学部長を訴えたのである。

2013年10月5日土曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-12 20131005



学部長のパワハラ

 京都学園大学のホームページにはハラスメントの定義が掲載されている。「ハラスメントとは、人格を傷つけ、学生の快適な教育環境を害したり、教職員の円滑な業務遂行の妨げとなるものです」とある。そして、パワハラについては、「職務上の地位を利用して、不適切な言葉や行為によって、部下や同僚に不利益を与えること」であり、具体的事例として以下の項目を揚げている。「・業務における通常の指導の範囲を超えて、相手の人格を傷つける、・昇進昇格等を妨害する・相手を無視したり、孤立させたり、相手の信用を傷つける、など」である。他大学でも教職員間のハラスメントとして扱われているが、ここで問題にするのは、学生の人権を守る責務がある学部長が学生の人権を愚弄した行為を学部長によるパワハラであると主張するものである。積極的に相手を傷つける行為は当然のこととして、守るべき者を守らなかった行為もまた責任者としてのパワハラである。
 この学部長のこのセクハラ事案での対応の変遷を以下に記す。
120106月〜8月末ころ:被害者から被害の実態を聞き取り、被害者の居室変更など積極的に対応しており、学部長はハラスメント委員会に提訴すると公言していた。
28月末:加害教員への対応を一変し、今後も学生指導を容認すると表明し、理由は述べずに、ハラスメント委員会への学部長による提訴もできないと表明。
311月:内山隆夫学長や西井理事長や弁護士と相談し、加害教員の行為は懲戒処分に相当しないと判断したと学部長は教員に報告。
420111月:加害教員に「詫び状」(本ブログ201394日掲載)を渡し、加害教員に全面降伏し、被害学生を切り捨てる。
52月:加害教員に厳重注意を言い渡したと学部長は表明したが、誰もその内容は知らない。「詫び状」との関連性も説明せず。
6)以降は、被害者救済のまともな対応は一切なし。

 以上の経過をみれば、この学部長に教育者としての資質など微塵も見えず、被害学生が言うように、「被害者を玩んだだけ」である。故に、金川学部長をパワハラとして防止委員会に提訴した。それにしても、このような経過を検証することなく、学部長の責任を問わなかったバイオ環境学部教授会の責任も重大であり、今からでも遅くないから、この問題の検証を調査委員会とは別に教授会はやるべきである。調査委員会の報告内容は次回に詳述する。

2013年10月2日水曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-11 20131003

セクハラ被害者は学部長からパワハラを受けた

 セクハラ被害学生の代理人となり、大学のハラスメント防止委員会に提訴したのは、被害者が第三者に被害をはじめて話してから1年後である。その1年間に学部長や学生主事、あるいはハラスメント相談員が問題解決に努力し、被害者の救済と学業継続を可能にしてくれるものと期待したからである。だから、被害者は被害実態を学部長や執行部に話したのだが、彼らの対応は実に無責任の一語につきる対応で、ハラスメントそのものである。すなわち、被害者救済の責任者であるはずの教員がセクハラ被害学生の人権をさらに踏みにじり、被害者の言葉を借りれば、「まさに、私の被害と私を玩んだだけです。学部の総責任者の為すことではないと思います。だから、金川学部長がこの1年以上に亘って私にしてきたことはパワハラだと思います。」(調査委員長への提出文書)。それゆえ、セクハラ加害教員を提訴すると同時に金川貴博学部長をパワーハラスメント加害者として訴えたのである。彼らの対応を検証しておくことは今後のあらゆるハラスメントの防止と被害者救済の基本となると考える。

2013年9月16日月曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-10 20130916


教員個々人の人権感覚の質が問われているのだが

 この3年間にわたるセクハラ問題へのバイオ環境学部としての対応を概観して分かってきたように、最大の問題点は執行部、とりわけ学部長と学生主事の対応にある。しかし、彼らの対応を是正できなかった教員はこの3年もの間はなにをしていたのだろう。聞くところによると、全教員でこの問題に取り組もうとの動きも発生し、教員懇談会が何回か開催されたようである。何人かの良心的な教員が呼びかけた会議なのだろうが、部外者の小生には、どのような議論がなされたかを知るすべもないが、学生救済が第一義であるとの認識で全員が集まったものと思いたい。しかし、数名の教員は「関心がない」との理由で参加要請を拒否したとの噂を聞いた。関心がないとはよくも言ったものである。一人の学生の人権が教員によって踏みにじられている事態に対して、関心がないからというのは理由にならないだろう。自分たちの職場でそのような人権侵害が発生しているとの噂があれば、その実態を調べることは全教員、学部の責任であるとは思わないというのである。この「関心がない」と言う言葉が、この大学の質を的確に表している。そして、その言葉が一人の学生が大学を離れることになり、第2、第3の被害者も含めて、深い心の傷をつくってしまったことをこの教員はなんとも思わないのだろうか。
 この懇談会にも参加しなかった教授が小生の質問に対して返してきたメールがある。「○○さんがセクハラに及んだとのことですが、全く知らないことです。わたしは現在、執行部でもなく、学生委員でもありません。ことの性格上、オープンに議論するものでもないはずです。みんなで学生へのケアーをするとしても、然るべきところでセクハラと裁定があって後のことでしょう。「被害者」の学生が誰かも知りません。わたしの担当クラスの学生??」と。無責任教員の典型を見事に表現した文章である。セクハラ裁定以前でも、セクハラに気づき、防止するのが教員の仕事であり、それは役職とは関係ないはずである。まして、自分のクラスの学生が被害者であるにも関わらず、この態度である。「関心がない」として参加しなかった教員も顔負けの破廉恥さである。このような教員達が学部長や学長の無責任を増長させたと言える。もはやここは教育の場ではない。

 しばらく海外に出かけるのでこのブログは休みにする。再開したなら、ぜひ読んでいただきたい。

2013年9月12日木曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-9 20130912


大学当局の無責任が生んだ第3の被害者

 この卒業生の告発ビラの内容に対して内山学長以下の大学執行部がまじめに、真剣に対処していたなら、第3番目の被害者を救えたはずである。各学部の学部長、評議員からなる大学の最高責任機関である評議員会が議題に取り上げていたなら、加害教員も自粛しただろうが、前回のブログに書いたように、学長は誰がコピーしたか等を詮索するだけであった。この無責任な学長にはまだ任期があるから、この大学のひどさはつのるだけだろう。こんな大学当局のテイタラクに加害教員は増長し、第3の被害者へのセクハラは好き放題となり、5月頃には、学外者の小生でも大変な事態が発生しているらしいと漏れ聞いていた。3人もの被害者が発生しているにもかかわらず、学部のハラスメント相談員はまったく救済機能を発揮せず、ただ口を開けて待っているだけのポストでしかなかった。このような事なかれ主義体質が改まらない限り、この大学では学生の人権は守られることはないから、近づかないに越したことはないと思う。もしもこの大学がマシになるチャンスが生まれるとすれば、それは被害学生への謝罪から始まるだろう。なぜなら、どのような言葉で謝罪を表現するかが、次の改革の質を決めるからである。

2013年9月8日日曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-8 20130909



 まじめに被害学生に向き合わない執行部

 このような学部長や学生主事の無責任な対応を、後のハラスメント調査委員会での証言で、「学部長が被害者学生を弄び、学生主事は学生を守るのではなく、学部長の主事に成り下がった」と表現し、学部長のパワハラの調査を小生は請求した。今でも、彼らの振る舞いはその役職に相応するものではなく、教育機関に従事する者ではないと思っている。この頃だろうか、被害学生が在籍するための学費は自分たちで集めてもよいなどと彼らが言っていたようであるが、金員を積んだわけでもなく、単なるお為ごかしの、アリバイ作りでしかなかったのだろう。誠実に被害者に向き合わない輩が金を差し出したとしても、被害者が受け取るはずがないことさえも判っていない。この両名は現在は大学の評議員と学生部長相当の役職に就いているというから、学生の人権侵害は続くだろう。
 そして、第2の被害者になった2期生の卒業式寸前に、卒業生の一人が、自分の名前を明らかにして、この加害教員のセクハラと学部長のパワハラを告発する文書を全学教員のメールボックス入れた。その翌々日だっただろうか、学資返還要求の回答をもらいに学長と面談したとき、事務局長も同席した場で、彼らは告発文書の内容などはそっちのけで、誰が、どこのコピー機で何時にコピーしたのか、コピー室は時間外立ち入り禁止だから、教員の誰かが手引きしたはずだとか、メールボックスの所在場所は関係者以外立ち入り禁止であるから、不法侵入で訴えるかなどと真顔で話してきた。因みに、バイオ環境学部のコピー室は24時間、誰でもコピーが可能である。かくして、全学の教員がこの深刻なセクハラ事件を知るところとなったが、教員の誰一人として学生救済に動かず、小生が代理人となってのハラスメント防止委員会への提訴まで放置された。

2013年9月7日土曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-7 20130907



 教授会は自己検証を始めねば
  検証-6の経過を読めば、この学部と学部長の信念なさと人権感覚の劣悪さが分かってもらえるだろう。セクハラを受けた被害学生は、セクハラの内容を他人に話す時は相当な覚悟を決め、説明するために過去の出来事を思い出し、嘔吐しながら話すのである。だから、聞く側は相当な覚悟をしないのであれば聞くべきではなく、聞いたからには被害者救済に付き合う覚悟をしなければならない。まして、加害教員と同じ男性の学部長や学生主事に話すのであるから気分がより落ち込むに決まっている。被害者のその心情も解せずに、全容を話させた後で、いとも簡単に「なにもできません」と無責任に放り出し、被害学生へのお詫びの前に、加害教員に詫び状を出していたのである。そして、加害教員を懲戒解雇にしなければならない事態(被害の拡大)を招いた責任も取ろうとしていない。小生がこの検証を始めたのは、この間の経過に最終責任があるバイオ環境学部教授会が、この4年間のセクハラ、パワハラ事件について自己検証をする気配がないと分かったからである。そして、関係資料を収集する過程で、学部長が「石田のやり方は被害者を苦しめるだけである」と公言していたことが分かった。なるほど、加害教員へのお詫びの中の、「今後は、この問題を早く収束させて、再燃しないように最大限の努力をします。」と学部長が思っているのに、もはや外部の人間になった輩が「被害学生の救済」を求めてくるのが邪魔だったのであろう。

2013年9月5日木曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-6 20130904


セクハラ事件の経過

なぜこのブログで京都学園大学セクハラ事件を検証しだしたかを少しは理解していただけたと思うが、検証を進めるために、この数年間の流れを整理して示す。

20064月:バイオ環境学部が開学し、被害者は第1期生として入学。
2008年秋から:被害学生は加害者の研究室に分属し、卒論研究を開始。
2009年:加害教員によるセクハラが日常化。
20103月:被害者が学部卒業を機に被害を第三者に初めて訴える。
2010年春:第2の被害(2期生)が発生。
20106月:学部長が加害教員の卒論指導停止を決定。
20108月:6月の決定をなぜか学部長が全面撤回。
201010月:学部長はハラスメント委員会への提訴ができないことが判明し たと言って、被害者本人に提訴するように伝える。
201011月:学長、理事、弁護士が協議し、加害者は懲戒処分に相当しないと判断。
201011月:学長に対して学資返還要求書を提出するも、その後も回答なし。
20111月:学部長が加害教員に「お詫び」文書を渡す。内容は文末に掲載。
20113月:卒業予定学生が全学教員にセクハラ告発ビラを渡す。
20113月:第2被害者が卒業し、第3の被害者へのセクハラ。
20114月:ハラスメント防止委員会にセクハラ被害を正式に代理人提訴。
20117月:ハラスメント調査委員会調査を始める。
20118月:第3被害者関係者が学長に抗議。加害教員は病気休職に入る。
20122月:学校法人京都学園と加害教員を相手に民事訴訟提訴。
20123月:バイオ環境学部教授会は被害学生の除籍を決定。
20132月:ハラスメント調査委員会の調査報告書が学長へ提出。
20132月:加害教員の懲戒解雇処分決定。
20137月:民事訴訟の和解成立。


資料
  (加害教員名)                        2011120
                お詫び
                              金川貴博
ハラスメントの情報が入った20106月中旬において、
1.   その解決方法について、「ハラスメント相談ガイド」を参照するように学生に伝えたものの、その内容についての学 生への説明が不十分であったこと
2.     私よりも前にハラスメントの情報を得ていた防止委員や相談員が、「ハラスメント相談ガイド」に沿った措置をし ていなかったことに対して、適切な措置を行うように指示しなかったこと
3.   「ハラスメント相談ガイド」の解決方法に沿ったうえでの学生の意思を、6月時点ではっきりと確認しなかったこと
  について、深くお詫びします。
 その後、学生から事情を聞き、貴殿からも事情を聞いた時点で、両者の話の内容に大きな違いがあることがわかり、事実関係の確認が暗礁に乗り上げましたが、その時に、事実関係の明確になっていない部分にまで踏み込んで、8月初旬に執行部が事実であると考えた内容には、不当な部分を含んでいたと認め、お詫びします。また、7月下旬と8月上旬に、貴殿から事情を聞いた際に、事情聴取を行った教員の姿勢に問題があったことについては、私の管理上のミスであり、お詫びします。
今後は、この問題を早く収束させて、再燃しないように最大限の努力をします。
                            

2013年9月2日月曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-5 20130902


セクハラ加害者の教員を懲戒解雇し、被害者学生が損害賠償訴訟を起こしたから、裁判の中がすべてであると内山学長が返答(2013312日)して来たので、もはや相手にするのも馬鹿馬鹿しいと思い、学校法人京都学園の最高責任者である田辺理事長に面談したいと要望(201348日)した。
 要望事項は次の2項目を早急に実施していただきたいというものである。
1)            被害学生への学校法人としての謝罪、除籍処分の撤回と復学要請
2)            ハラスメントへの適正な対処法の学内的確立と教員教育の実施
 理事長からは、予想通り、「除籍処分の撤回、復学環境の確立につきましては、本件処分後においても再度、本学顧問弁護士を通じ、ご本人に復学の意思はない旨を確認したところであります。また、適正な対処法の確立等につきましては、今後このようなことが起こらないよう調査委員会の結果を踏まえ、再発防止に向けた取り組みを検討していく所存でございます」との回答が2013418日付で届いた。
 このハラスメント事件を学部が知るようになり、学部長や学長が対処し始めてからすでに3年以上もの時間が経過した。この間に、教育を本務とする大学なら一番に配慮しなければならないのは被害学生の学業継続を保障することである。それには、加害教員と学生との隔離をどうするか、新しい指導者をどうするか、研究テーマをどうするか、そして修了までの期間延長に伴う学資(授業料)をどうするかについて本人が納得できる条件を作ることである。ところが、この学部も大学もそのような配慮と努力をすることなく、裁判に訴えるや否や、論議することもなく除籍処分とした。これが教育の機関組織であろうか。
 このように書けば、学部長は新たなテーマと新たな指導教員を考えてくれと言ったと言い訳するだろうが、それを提示した相談の場に小生も同席していたが、学部内でやっている他教員のテーマをいくつも並べただけであり、まして、学業継続の前提である加害教員の存否や授業料などの前提条件には一切触れなかった。これで学業継続を問うとは、教育者の質を疑う。また、学長に至っては被害者の要望に一切答えないままに、除籍だけを決定した。それを踏襲するのが理事長の回答である。教育機関の中で解決すべき事柄は何かも考えようとしない学部長、学長、理事長が居るのだから、ハラスメント被害者の悲劇はこれからも続くであろう。

2013年8月28日水曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-4 20130828


被害学生は民事裁判に提訴する以前に、学長に対して学資の返還を要求していた。なぜならば、学部を卒業し、大学院に入学した時点でセクハラ被害を学部に訴え、学部長は事情聴取を経て、この学生の准教授の居る階から7階の研究室に部屋替えをさせた。しかし、机は与えたが、研究指導もせず、実験装置の手配などもまったくしなかった。すべての大学院生には主査1名と副査2名の教員が指定されており、加害准教授の指導などあるはずが状況では、これらの教員には院生の研究教育指導すべき最終責任者として責務があるが、この3名とも何もせずに学生を放置するという信じられない行為を続けた。その内の2人は京都学園に来る前には京都大学農学研究科の研究科長をしていたというから驚きである。
 このような学部大学の対応に対して、被害学生は学資の返還を学長に文書で要求したが、学長は一度も回答することなく時間だけが過ぎ、あまりの無責任さ故に、もはや相手にする人物とは思えず、被害者は裁判を起こしたのである。驚くことに、提訴した直後の2012年3月のバイオ環境学部教授会は学生を除籍処分にした。年間150万円もの研究料を納めさせ、セクハラの被害に合わせ、研究指導も教育もなにもせずに金だけ取って、返還要求している間の学資が納入されていないという理由で除籍処分である。しかも、その決定をした教授会ではほとんど議論もされなかったという。主査と副査もその場に出席していながら、自分たちが担任する学生の除籍に賛同したという、もはや教育に従事している者とは思えない振る舞いである。この決定をした教授会の議長を務めていたのが現学部長で、被害者の代理人である小生に向かって、「加害者の先生をやめさせるのは反対である。被害を受けた学生が、被害を受けながら同じところの大学院に進学するのは理解できない。京大でも同志社でもあるじゃないか。僕ならそうする」と発言した。「被害者学生が所属し、その学生を含む多くの学生の教育を担当する教授の発言としては許し難いものであります」とメールを送った。こんな人物が学部長だから、これからもセクハラを受けた学生の人権が守られるどころが、セクハラに加えてパワハラを受けるのであろう。

2013年8月26日月曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-3


 学園大学教員3名と弁護士2名から編成されたセクハラ調査委員会はなんと22ヶ月という長期間を費やして調査報告書をまとめた。信じられない拙速であり、この間に新たなセクハラ被害者が発生したのであるから、この大学ではハラスメント防止委員会ではなく促進委員会である。調査報告の内容は、被害者が訴えていたことをほとんどすべて追認するものであり、その報告を受けて、大学当局は加害者を懲戒解雇処分にしたということを新聞報道で被害者は知った。学部、大学、学校法人が被害者にこの処分を知らせることもなく、まして懲戒解雇というもっとも重い処分をせざるをえないほどの諸悪行を長期に放置し、3名の学生の人生を深く傷つけたことに対して自らの言葉でそれぞれが謝罪することもなかった。まともな大学なら、処分を対外的に発表する前後には、被害者に謝罪するものであり、このことも他大学の学長に尋ねてみたが、そんなことは当然のことで、被害者に伝えもしないなどは信じられないというのが全員の反応であったことを記しておく。そして、小生はバイオ環境学部の全教員に重要な経過と問題点を指摘する文書を送付し、間違いがあれば訂正するし、反論があれば公開で議論しようと申し入れたが、誰一人として質問も反論もしてこなかったので、「全教員に認められたものと解して、文書は今後公開する」と通告しておいた。ネットによる公表はこの通告の実施である。
 新聞報道にあるように、「学部長が厳重注意したにもかかわらず」という言い訳がいかに空疎なものであり、無責任なものであるかはお分かりいただけたと思う。全教員に送付した文書2通の内容を知りたい方には面会してご覧いただくことにしている。もはや教育界にいる資格のない者達の集まりがバイオ環境学部と言わざるをえない。このような経過について点検し反省しないならば、これからもハラスメントが多発する大学でしかないだろう。このような問題点について学長と理事長に面談を申し入れたが、調査委員会が終了したから、被害者代理人ではなくなったので、大学は会う必要のない存在であると返答してきた。

2013年8月22日木曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-2


事件に関する報道を京都新聞記事を参考に列記する。
 201237日:「准教授がセクハラ」 京都学園大を訴え
 2013228日:セクハラ行為で准教授懲戒解雇
 2013516日:「解雇無効」と提訴、京都学園大元准教授
 2013713日:セクハラ2訴訟京都学園と和解
 被害学生は被害を受けた2008年から2012年までの大学の無責任な対応に怒り、救済の最後手段として民事訴訟を決意した。小生はこの訴訟にも支援者として見守っていたが、民事訴訟というのは大学外の社会での決着をつける制度であり、学内で発生した事案であるから、本来は大学という教育組織・機関として被害者救済を行なうべきであるにもかかわらず、京都学園大学は学長はじめ学部長を筆頭にまったくの無責任な対応(対応なしと言った方がよい)に終始した。被害学生の訴えた第一の理由である後輩に被害者を発生させたくないとの思いを踏みにじり、彼らの無責任と無策に費やした時間の中で第2,第3の被害者を出してしまった。小生がこの事件の顛末を公にしなければと思ったのは、無反省状態のままでこの大学が存続すれば第4,第5の被害者が出してしまうだろうと思うからである。民事裁判の和解書には「被害者に謝罪する」と学校法人京都学園・理事長の署名で書かれているが、理事長は被害者を知らず、こんなに空疎な文言はない。この3年以上に亘るセクハラ糾弾の中で、学長や学部長が被害者に一度も謝罪していないという、普通の大学では考えられない無責任さである。このことをいくつかの他大学の学長に話したところ全員が唖然とし、考えられないと絶句した。この大学の無責任ぶりは、被害者が裁判所に訴えた際の新聞記事の中にもある。すなわち、「現在、大学のハラスメント調査委員会で調査している。その手続き中に訴訟を起こされ困惑している」とコメントしている点に典型的に表れている。小生が被害者の代理人となり大学のハラスメント委員会に調査を要求し、調査委員会が調査をしているのであって、大学が調査を積極的にしているのではなく、調査させられているに過ぎない。もし、大学や学部が自ら学生救済のための調査をすべきだと考えたなら、なぜ部外者の小生が訴えるまでに始めなかったのかを明らかにした上で言うべきである。自らの怠惰と無責任を棚に上げて、よくもぬけぬけと言えたものである。 

セクハラ加害者であるこの准教授の諸悪行は前学部長や学生主事が被害者本人からの聞き取りや関係教員からの情報によって十分に把握されていたにもかかわらず、この学部長は20101018日に学部長がセクハラ委員会に提訴することができないことが分かったので、被害学生に自分でやってくれと言い出し、すべてを投げ出したのである。なぜできないと分かったのかを説明することはなかった。であるならば、被害者からこと細かく事情聴取をすることはなかったはずであり、被害者を弄んだだけである。ここに至って、被害者学生には学部長や学生主事への信頼はなくなり、もはやこのような卑劣な教員を相手にして救済を求めることを断念したのである。まさに教育者としては失格であり、この二人が大学の要職に就いていると聞き唖然とした。すでに退職して部外者である小生が被害者の代理人としてハラスメント委員会に提訴できるかと尋ねたところ、ハラスメント委員長はだれでも代理人提訴が可能であると即答した。ならば学部長は何故できないと言ったのだろうか。単なる無責任と判断せざるをえないと思い、委員会に提訴した。この学部長の無責任な振る舞いの間に、第2、第3の被害者が発生していたのである。新聞報道では、学部長が口頭で厳重注意したにもかかわらず、この准教授は次々とセクハラを繰り返したようであるが、どのような内容の注意をどのような形で加害者に伝えたのかを知る者はいず、被害者にもまったく知らされることはなかった。この大学には学生の人権を守ることが教育の基本であるとの認識はない。民事訴訟が和解したからと言っても反省はなく、この体質はそのままであり、当該准教授は解雇されたが、その他の教員がセクハラをしない保証はなく、被害学生の早期救済と対応は、今回の事案の反省の中からしか見つけ出せないはずであると思うのだが。

2013年8月21日水曜日

京都学園大学のセクハラ事件の検証-1


「京都学園大学バイオ環境学部の教員(男性の元准教授)によるセクハラ行為を受けた元大学院生の女性が元准教授と学校法人京都学園に損害を求めた訴訟は12日に和解が成立した。」との報道記事が京都新聞(2013713日)に掲載された。この和解によって被害者が少しは救済されたのか、京都学園大学ではハラスメントはなくなるのだろうか。事件と事件後の経過を検証し、京都学園大学の猛省を促したいと思い、このブログで問題提起を続けることにした。小生がこの事件とどのような関係にあるのかをまず明らかにしておきたい。
 2004年から2005年まで、京都学園大学バイオ環境学部準備室に勤務し、2006年から20103月までバイオ環境学部の教授に就任していた。退職後に明らかになったこのセクハラ事件の被害者の代理人となり、ハラスメント委員会に調査と救済を要求した(2011422日)。その後、被害者の救済を求めてハラスメント調査委員会や学長と交渉を続けてきた。
 今回の和解では「本件に関して原告が多大な精神的苦痛を受けたことを謝罪する」との一文がある。誰が、どのような言葉で謝罪するのかは書かれていないし、この和解文書は京都学園という学校法人の理事長名で書かれたものであって、もっとも重い責任を持つべきバイオ環境学部の前および現学部長や学長がどのような言葉で本人に謝罪するのだろうか。和解成立後から1ケ月以上が過ぎるが、彼らは何の責任もないかのようであり、被害者への謝罪の言葉はない。この事件が明るみになってから3年以上の間、彼らは一貫して被害者に真摯に向き合って来なかったといえる。だから、学内での解決が実現せず、学外社会(裁判)での決着を被害者は求めざるを得なかったのである。和解後の彼らの振る舞いもその延長上にある。これでは、「全学を挙げて学内のセクハラの再発防止に取り組むことを約束する」などとは信用できる訳がない。加害者の准教授は懲戒解雇で大学と縁が切れ、被害者も除籍処分で縁が切れ、平穏な大学に戻ったと思っているのだろうか。3名ものセクハラ被害者を出した責任を自らの言葉で語るべきである。

2013年8月15日木曜日

あるセクハラ事件を考えるために

酷暑酷暑の毎日であるが、それなりの楽しみ方を会得すれば老体でもなんとかなるものである。人間の仕業の愚かさと酷さに較べればこの程度の酷暑は乗り切れるだろう。と言っても今日の予想は38度である。
 このブログを始めようと思ったのは、一つの裁判が終了したが、被害者に対する関係者の対応の低劣さをきっちりと世間に伝える必要を感じたかられである。それは教員による大学生へのセクハラ事件発覚後の当該学部と大学執行部の呆れ果てる対応に対してである。それはセクハラ被害学生に対する学部長、学生主事や学長によるパワハラである。明日からその全容を記載するつもりである。

2013年8月6日火曜日