被害学生は民事裁判に提訴する以前に、学長に対して学資の返還を要求していた。なぜならば、学部を卒業し、大学院に入学した時点でセクハラ被害を学部に訴え、学部長は事情聴取を経て、この学生の准教授の居る階から7階の研究室に部屋替えをさせた。しかし、机は与えたが、研究指導もせず、実験装置の手配などもまったくしなかった。すべての大学院生には主査1名と副査2名の教員が指定されており、加害准教授の指導などあるはずが状況では、これらの教員には院生の研究教育指導すべき最終責任者として責務があるが、この3名とも何もせずに学生を放置するという信じられない行為を続けた。その内の2人は京都学園に来る前には京都大学農学研究科の研究科長をしていたというから驚きである。
このような学部大学の対応に対して、被害学生は学資の返還を学長に文書で要求したが、学長は一度も回答することなく時間だけが過ぎ、あまりの無責任さ故に、もはや相手にする人物とは思えず、被害者は裁判を起こしたのである。驚くことに、提訴した直後の2012年3月のバイオ環境学部教授会は学生を除籍処分にした。年間150万円もの研究料を納めさせ、セクハラの被害に合わせ、研究指導も教育もなにもせずに金だけ取って、返還要求している間の学資が納入されていないという理由で除籍処分である。しかも、その決定をした教授会ではほとんど議論もされなかったという。主査と副査もその場に出席していながら、自分たちが担任する学生の除籍に賛同したという、もはや教育に従事している者とは思えない振る舞いである。この決定をした教授会の議長を務めていたのが現学部長で、被害者の代理人である小生に向かって、「加害者の先生をやめさせるのは反対である。被害を受けた学生が、被害を受けながら同じところの大学院に進学するのは理解できない。京大でも同志社でもあるじゃないか。僕ならそうする」と発言した。「被害者学生が所属し、その学生を含む多くの学生の教育を担当する教授の発言としては許し難いものであります」とメールを送った。こんな人物が学部長だから、これからもセクハラを受けた学生の人権が守られるどころが、セクハラに加えてパワハラを受けるのであろう。
2013年8月28日水曜日
2013年8月26日月曜日
京都学園大学のセクハラ事件の検証-3
学園大学教員3名と弁護士2名から編成されたセクハラ調査委員会はなんと2年2ヶ月という長期間を費やして調査報告書をまとめた。信じられない拙速であり、この間に新たなセクハラ被害者が発生したのであるから、この大学ではハラスメント防止委員会ではなく促進委員会である。調査報告の内容は、被害者が訴えていたことをほとんどすべて追認するものであり、その報告を受けて、大学当局は加害者を懲戒解雇処分にしたということを新聞報道で被害者は知った。学部、大学、学校法人が被害者にこの処分を知らせることもなく、まして懲戒解雇というもっとも重い処分をせざるをえないほどの諸悪行を長期に放置し、3名の学生の人生を深く傷つけたことに対して自らの言葉でそれぞれが謝罪することもなかった。まともな大学なら、処分を対外的に発表する前後には、被害者に謝罪するものであり、このことも他大学の学長に尋ねてみたが、そんなことは当然のことで、被害者に伝えもしないなどは信じられないというのが全員の反応であったことを記しておく。そして、小生はバイオ環境学部の全教員に重要な経過と問題点を指摘する文書を送付し、間違いがあれば訂正するし、反論があれば公開で議論しようと申し入れたが、誰一人として質問も反論もしてこなかったので、「全教員に認められたものと解して、文書は今後公開する」と通告しておいた。ネットによる公表はこの通告の実施である。
新聞報道にあるように、「学部長が厳重注意したにもかかわらず」という言い訳がいかに空疎なものであり、無責任なものであるかはお分かりいただけたと思う。全教員に送付した文書2通の内容を知りたい方には面会してご覧いただくことにしている。もはや教育界にいる資格のない者達の集まりがバイオ環境学部と言わざるをえない。このような経過について点検し反省しないならば、これからもハラスメントが多発する大学でしかないだろう。このような問題点について学長と理事長に面談を申し入れたが、調査委員会が終了したから、被害者代理人ではなくなったので、大学は会う必要のない存在であると返答してきた。
2013年8月22日木曜日
京都学園大学のセクハラ事件の検証-2
事件に関する報道を京都新聞記事を参考に列記する。
2012年3月7日:「准教授がセクハラ」 京都学園大を訴え
2013年2月28日:セクハラ行為で准教授懲戒解雇
2013年5月16日:「解雇無効」と提訴、京都学園大元准教授
2013年7月13日:セクハラ2訴訟京都学園と和解
被害学生は被害を受けた2008年から2012年までの大学の無責任な対応に怒り、救済の最後手段として民事訴訟を決意した。小生はこの訴訟にも支援者として見守っていたが、民事訴訟というのは大学外の社会での決着をつける制度であり、学内で発生した事案であるから、本来は大学という教育組織・機関として被害者救済を行なうべきであるにもかかわらず、京都学園大学は学長はじめ学部長を筆頭にまったくの無責任な対応(対応なしと言った方がよい)に終始した。被害学生の訴えた第一の理由である後輩に被害者を発生させたくないとの思いを踏みにじり、彼らの無責任と無策に費やした時間の中で第2,第3の被害者を出してしまった。小生がこの事件の顛末を公にしなければと思ったのは、無反省状態のままでこの大学が存続すれば第4,第5の被害者が出してしまうだろうと思うからである。民事裁判の和解書には「被害者に謝罪する」と学校法人京都学園・理事長の署名で書かれているが、理事長は被害者を知らず、こんなに空疎な文言はない。この3年以上に亘るセクハラ糾弾の中で、学長や学部長が被害者に一度も謝罪していないという、普通の大学では考えられない無責任さである。このことをいくつかの他大学の学長に話したところ全員が唖然とし、考えられないと絶句した。この大学の無責任ぶりは、被害者が裁判所に訴えた際の新聞記事の中にもある。すなわち、「現在、大学のハラスメント調査委員会で調査している。その手続き中に訴訟を起こされ困惑している」とコメントしている点に典型的に表れている。小生が被害者の代理人となり大学のハラスメント委員会に調査を要求し、調査委員会が調査をしているのであって、大学が調査を積極的にしているのではなく、調査させられているに過ぎない。もし、大学や学部が自ら学生救済のための調査をすべきだと考えたなら、なぜ部外者の小生が訴えるまでに始めなかったのかを明らかにした上で言うべきである。自らの怠惰と無責任を棚に上げて、よくもぬけぬけと言えたものである。
セクハラ加害者であるこの准教授の諸悪行は前学部長や学生主事が被害者本人からの聞き取りや関係教員からの情報によって十分に把握されていたにもかかわらず、この学部長は2010年10月18日に学部長がセクハラ委員会に提訴することができないことが分かったので、被害学生に自分でやってくれと言い出し、すべてを投げ出したのである。なぜできないと分かったのかを説明することはなかった。であるならば、被害者からこと細かく事情聴取をすることはなかったはずであり、被害者を弄んだだけである。ここに至って、被害者学生には学部長や学生主事への信頼はなくなり、もはやこのような卑劣な教員を相手にして救済を求めることを断念したのである。まさに教育者としては失格であり、この二人が大学の要職に就いていると聞き唖然とした。すでに退職して部外者である小生が被害者の代理人としてハラスメント委員会に提訴できるかと尋ねたところ、ハラスメント委員長はだれでも代理人提訴が可能であると即答した。ならば学部長は何故できないと言ったのだろうか。単なる無責任と判断せざるをえないと思い、委員会に提訴した。この学部長の無責任な振る舞いの間に、第2、第3の被害者が発生していたのである。新聞報道では、学部長が口頭で厳重注意したにもかかわらず、この准教授は次々とセクハラを繰り返したようであるが、どのような内容の注意をどのような形で加害者に伝えたのかを知る者はいず、被害者にもまったく知らされることはなかった。この大学には学生の人権を守ることが教育の基本であるとの認識はない。民事訴訟が和解したからと言っても反省はなく、この体質はそのままであり、当該准教授は解雇されたが、その他の教員がセクハラをしない保証はなく、被害学生の早期救済と対応は、今回の事案の反省の中からしか見つけ出せないはずであると思うのだが。
2013年8月21日水曜日
京都学園大学のセクハラ事件の検証-1
「京都学園大学バイオ環境学部の教員(男性の元准教授)によるセクハラ行為を受けた元大学院生の女性が元准教授と学校法人京都学園に損害を求めた訴訟は12日に和解が成立した。」との報道記事が京都新聞(2013年7月13日)に掲載された。この和解によって被害者が少しは救済されたのか、京都学園大学ではハラスメントはなくなるのだろうか。事件と事件後の経過を検証し、京都学園大学の猛省を促したいと思い、このブログで問題提起を続けることにした。小生がこの事件とどのような関係にあるのかをまず明らかにしておきたい。
2004年から2005年まで、京都学園大学バイオ環境学部準備室に勤務し、2006年から2010年3月までバイオ環境学部の教授に就任していた。退職後に明らかになったこのセクハラ事件の被害者の代理人となり、ハラスメント委員会に調査と救済を要求した(2011年4月22日)。その後、被害者の救済を求めてハラスメント調査委員会や学長と交渉を続けてきた。
今回の和解では「本件に関して原告が多大な精神的苦痛を受けたことを謝罪する」との一文がある。誰が、どのような言葉で謝罪するのかは書かれていないし、この和解文書は京都学園という学校法人の理事長名で書かれたものであって、もっとも重い責任を持つべきバイオ環境学部の前および現学部長や学長がどのような言葉で本人に謝罪するのだろうか。和解成立後から1ケ月以上が過ぎるが、彼らは何の責任もないかのようであり、被害者への謝罪の言葉はない。この事件が明るみになってから3年以上の間、彼らは一貫して被害者に真摯に向き合って来なかったといえる。だから、学内での解決が実現せず、学外社会(裁判)での決着を被害者は求めざるを得なかったのである。和解後の彼らの振る舞いもその延長上にある。これでは、「全学を挙げて学内のセクハラの再発防止に取り組むことを約束する」などとは信用できる訳がない。加害者の准教授は懲戒解雇で大学と縁が切れ、被害者も除籍処分で縁が切れ、平穏な大学に戻ったと思っているのだろうか。3名ものセクハラ被害者を出した責任を自らの言葉で語るべきである。
2013年8月15日木曜日
あるセクハラ事件を考えるために
酷暑酷暑の毎日であるが、それなりの楽しみ方を会得すれば老体でもなんとかなるものである。人間の仕業の愚かさと酷さに較べればこの程度の酷暑は乗り切れるだろう。と言っても今日の予想は38度である。
このブログを始めようと思ったのは、一つの裁判が終了したが、被害者に対する関係者の対応の低劣さをきっちりと世間に伝える必要を感じたかられである。それは教員による大学生へのセクハラ事件発覚後の当該学部と大学執行部の呆れ果てる対応に対してである。それはセクハラ被害学生に対する学部長、学生主事や学長によるパワハラである。明日からその全容を記載するつもりである。
このブログを始めようと思ったのは、一つの裁判が終了したが、被害者に対する関係者の対応の低劣さをきっちりと世間に伝える必要を感じたかられである。それは教員による大学生へのセクハラ事件発覚後の当該学部と大学執行部の呆れ果てる対応に対してである。それはセクハラ被害学生に対する学部長、学生主事や学長によるパワハラである。明日からその全容を記載するつもりである。
2013年8月6日火曜日
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