昨日、滋賀県大津市で「放射性チップ問題を考える集い」を開催した。約50人の参加であったが、滋賀の市民だけでなく、京都や大阪、東京からの参加者もあった。福島原発崩壊によって汚染された樹木の製材過程で出てくる放射能汚染チップの処理はこれからも重大な問題である。今日の本ブログで問題にするのはチップのことではなく、原発問題や放射能汚染問題に対する民主党の質の悪さである。昨日の集会でも無所属の高島市会議員が1名参加してくれたが、民主党の県会市会議員は誰も姿を見せなかった。放射性チップが鴨川に不法投棄されていた段階でも、市民からの要請に民主党議員はまったく反応しなかった。事態が進んでも同じであった。彼らはスポンサーの連合や電気労連などに縛られているのだろうか。滋賀の民主党だけではなく、京都の民主党市会府会国会議員も同じである。集団的自衛権の解釈改憲時に、本ブログで「公明党の死」を記したが、公明党以上に死に瀕しているのが民主党である。先の知事選で三日月知事の誕生に協力してきた者として、死に瀕している民主党が新知事の脚を引っ張らないように見張りしなければ。
2014年7月27日日曜日
2014年7月17日木曜日
「安全とは言わぬ」ならば川内原発を動かすな
川内原発の再稼働に向けた原子力規制委員会の判断が表明された。それは新たな規制基準を川内原発が満たしているかどうかの判断であり、決して安全が担保されたものではないというのが田中委員長の発言である。しかし、当委員会の判断は再稼働決定の基本となる結論である以上、委員長がどう言おうとも、安全もクリアされたと政府は解釈するだろうし、住民も仕方がないと思う根拠になるだろう。なのに、自己の責任は回避するための逃げ口上を委員長は公言した。こんな恥ずかしい発言で責任は回避できる訳はなく、なぜ彼はこの委員長の席に居るのかを説明すべきである。でなければ恥ずかしい輩と言わざるを得ない。こんな人物に未来を託している国に住んでいるのである。フクシマに何を学んだのだろう。川内原発再稼働阻止の闘いを続けよう。
2014年7月16日水曜日
放射能汚染木材チップ不法投棄事件報告集会参加を
滋賀県高島市の鴨川に福島県から持ち込まれた放射能に汚染された木材チップ事件の顛末を以下の集会で報告します。ぜひご参加を。全国にこれ以上拡散することを阻止する為に滋賀県での問題点を整理し、監視の目を拡げましょう。
7月26日 午後1時から4時半まで
大津市浜大津にある 明日都浜大津(京阪浜大津駅から徒歩1分)
参加費 無料
主催は 放射性チップ問題を考える実行委員会
問い合わせは sigachipu@yahoo.co.jp あるいは 090-7757-1959
7月26日 午後1時から4時半まで
大津市浜大津にある 明日都浜大津(京阪浜大津駅から徒歩1分)
参加費 無料
主催は 放射性チップ問題を考える実行委員会
問い合わせは sigachipu@yahoo.co.jp あるいは 090-7757-1959
2014年7月14日月曜日
三日月さんの当選を祝う
昨夜遅くに滋賀県から朗報が届いた。滋賀県知事選挙で、自民公明や維新というこの国を崩壊に導いている党に推された候補者をチームしが推薦の三日月さんが破って当選したとの報せである。選挙選半ばまでは水を開けられていたが、追いつき追い越しての当選である。県外からではあるが、微力ながらも応援した介があったと喜んで就寝した。この選挙を小生は大飯原発再稼働阻止が成功するかどうかの闘いと位置づけていた。候補者本人にも会い、再稼働反対を、脱原発を明確にしてほしいと要請もした。卆原発の三日月を満月にしてくれと知人に要請もした。福島原発の放射能に汚染された木材チップが不法に投棄された事件を高島市の地元民と取り組んできたが、嘉田知事の対応には納得できず、異議を申してきた。不法投棄物は撤去されたが、不法行為者の告訴の決着はまだついていない。これからも新知事三日月さんとはやり取りをしなければならないだろうが、今は当選おめでとうと祝意を送る。
2014年7月13日日曜日
安倍内閣の解釈改憲への海外からのメール
「集団的自衛権」や「防衛装備移転三原則」など憲法の精神を踏みにじる解釈改憲を強行している安倍内閣の政治は海外でどのように受け取られているのだろうか。この25年間、小生が通い続けているカザフスタンからのメールを紹介する。メールの発信者は北朝鮮出身でカザフに在住している83才の朝鮮人である。13才まで日本の占領下で日本語教育を受けた男性老人である。彼からのメッセージは「日本は新憲法を採択し神風特攻隊を世界の至る所に送る事の出来る世界最大の軍事、経済強国になりました。此のニュースきいた瞬間から私は 軍歌:暁に祈る,燃ゆる大空、加藤隼戦闘隊、ラバウル航空隊、貴様と俺とは同期の桜、予科練の歌は勿論 古賀雅夫のまぼろしの陰を慕いてを歌い始め毎晩歌わない日はありません。そればかりではありません。私はアベシンゾウのお陰様でこのようにとても愉快な毎晩を送っています。此の時、幼い時に国民学校で一緒に歌った友たちのお顔が私の目の前に浮かんできます。」と書かれていた。今まで出会う度に彼の歌を聴かされたが、いつも目は泣いていた。彼からのメッセージはこの安倍晋三の「日本を取り戻す」危険な政治に闘いを展開しきれてない小生への怒りであると思う。
2014年7月11日金曜日
自民に捨てられまいとする公明党の哀れな写真
琵琶湖の西岸は湖西地方と呼ばれ、福井県との県境の山並みが西方にある。原発まで30キロもない。現在の高島市には饗庭野という丘陵地帯があり、帝国陸軍の騎兵隊の基地が戦前にあり、戦後の占領軍の駐屯から警察予備隊、そして自衛隊の特車部隊へと陸軍の訓練地である。ちなみに特車とはなんだかご存知だろうか。特別な車ではなく戦車のことである。平和憲法の日本ならではの呼びかえである。「饗庭野は自衛隊がお世話になっている地域で、防衛の拠点であります」と滋賀県知事選挙の応援にやって来た石破自民党幹事長が演説したと滋賀民報が写真入りで報道した記事が送られてきた。集団的自衛権行使の先兵である石破のことをここでわざわざ書く気はないが、その写真には、胸を張って演説する石破をしょぼくれた恰好で見ている齋藤鉄夫公明党選対委員長の姿がある。前回までの本ブログで公明党の死を書いたが、この齋藤の姿は自民に連れ添って捨てられないまいと振る舞う公明党そのものである。写真は敢えてアップしないが、公明党の現状を表現した逸品であるから http://blog.goo.ne.jp/uo4/e/3832c4213e4b846d74a561804654a02b をご覧になるとよい。ちなみに、饗庭野には俵山という低い山があり、占領軍が撃った砲弾が轟音を響かせながらその山の向う側を飛んで行くのを聴きながら小生は育ったのである。
2014年7月5日土曜日
公明党の死
ついに集団的自衛権の閣議決定がなされた。憲法に従うべき政府が憲法を自分たちに都合のよい解釈をほどこして、憲法の精神にのっとり多くのの法律を改定すると言うのである。本末転倒とはこのことである。まして自衛隊の海外派遣をやるというのである。安倍自民党の「日本を取り戻す」というスローガンは、戦前の軍国主義を復活させるということが明白になった。これに加担した公明党の罪は大きい。京都市議会と府議会の公明党議員全員に本ブログ「公明党の終焉」外を送信したが、誰からも反応がない。平和の党と喧伝していた公明党は死んだのである。
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