2014年8月26日火曜日
疑問質問を提示できる学生を
毎年恒例の集中講義を京大で3日間行った。もうお役目ごめんの年齢だからと思っているが、学生と接してきた半生だから最後まで機会があれば引き受けてもよいかと思っている。まあ今年が最後だろうと思ったので、二つの試みをした。一つはこの3年間続けているフクシマ原発被災者の方にその胸の内、怒りを話してもらう半日である。福島市からの避難者の方のメッセージは充分に学生に届いたようである。その内の一人でも心と体を動かしてくれればよい。もうひとつは、最後の時間に書かせるレポートのやり方を変えた。いつもなら問題を出して回答を聞くのであるが、今年は質問・疑問を最低10個を書かせた。ことばの意味を問うだけのものもあったが、自分の考えを書いた上で質問文を書いているものもあり、読む側としては結構おもしろかった。先生が正解のある問いを出して、講義の中で教えた正解を書かせて点数を付けるのは教育ではないと思っているからこんなレポート時間とした。いろんな講義でやってくれないかと願っている。こんな経験の中から自分で新しい考えを開拓してくれる学生が育てばと思う。
2014年8月9日土曜日
フクシマを語らない大学教員
今年も京大での3日間の集中講義が終了した。30人ほどの学生を相手の15コマ分の講義である。講義名は環境毒性学で、1992年に開講した科目であり、退職後も集中講義の形で依頼されている。もうボチボチお払い箱になっても良いのではと思いながら、学生に接する機会と引き受けてきた。今年も福島からの避難者の方に1コマをお願いして話してもらった。原発被災者の話を学生が直接聞くことはほとんどないというから、この3年間続けている。学生は大きな衝撃を受けたようで、私の講義よりも価値あるコマであった。京大の学生に、この3年間、同じ質問をしている。それは、「講義の中でフクシマの話、原発の話を聞いたことがあるか?」とか、「講義の専門性と関連させてフクシマを話してくれた先生はいるか?」と訊ねてみている。答えは「ない」である。もちろん調査数が少ないのは承知しているが、どの大学でも同じで、先生方はフクシマは自分と関係ないと思っているらしい。あるいは「講義とはそんな世間のこととは関係ない崇高なことを教えるものだ」と思っているのだろうか。今、フクシマを語らずして何を学生に伝えるのだろうか。もちろん1科目15コマ全部をフクシマに使おうなどと言ったいるのではない。1コマでも半コマでもよいから語ってしかるべきではないだろうか。それが教育に携わる者としてフクシマの総括に繋がる過程であろう。
2014年8月1日金曜日
東電元会長ら「起訴相当」検察審査会が議決
福島原発告訴団・関西支部を引き受けて、市民環境研究所で事務を執り出して3年近く。先週末に告訴団関西支部ニュースの第10号を1800人の告訴人/会員に送付したところです。検察審査会の決定の時期が見通せないので盆前に発送したら、7月31日に「勝俣元会長ほか2名の業務上過失致死傷容疑で起訴相当」との議決が出た。やっとここまで来たかと酷暑の中で一服の涼を味わう。滋賀県の知事選挙に続いての感慨である。東京地検が起訴するまで酷暑であれ厳寒であれ乗り越えて闘い続けねばと。
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