2019年6月20日木曜日

関電離れを進めましょうー全原発停止のために

先日の京都新聞に関西電力の社長が電気事業連会長に就任することになり、その時の談話として、「原発の再可動がなにより必要なこと」だと言明したとあった。全原発の停止と廃炉に追い込む運動を展開しなければならないと思いました。そんな時に、運動仲間から添付図のような資料が送られてきたので紹介します。「加速している関電離れ」と題するこの図によれば、関電との契約解除した口数は250万件になったという。人々の怒りと願いを表しています。さらに押し進めて、関電社長が全原発停止を言うまでがんばりましょう。

2019年6月19日水曜日

市民環境研究所総会と記念講演ー孫崎さん

6月22日(土)午後に市民環境研究所の年次総会を開催します。当研究所開設から17年です。何ができたか、どのように変わったかを検証し、これからの在り様を模索する一里塚です。記念講演は、在ウズベキスタンの日本大使でおられた時に、タシケントの大使館でお会いし、日本カザフ研究会でも講演していただいた孫崎亮さんにお願いしました。狭い会場で入場できない時はご勘弁を願わなければなりません。そんな事情をお含みの上で来ていただければ幸いです。

2019年5月18日土曜日

丸山穂高はけしからんが、松井維新代表も


 日本維新の会の松井一郎代表(大阪市長)は14日、返還に関連して戦争に言及した丸山穂高衆院議員を党からの除名処分と言うもっとも重い処分を決定したと得意げに言っていた。なんとも無責任な党首である。党から排除して自分たちを守る行為でしかない。丸山議員は維新の会の党員であり、松井党首が育てた仲間だろう。それなら先ず行うべきは議員辞職を迫る党内議決であり、どうしても応じない場合に除名があるのだろうと思う。そそくさと除名して、私たちはやるべきことはやったというような振る舞いをする維新らしい行為ではある。丸山議員は自ら「無所属にて活動する」と宣言し、議員辞職はしない考えを示している。党利党略から離れて行動できる無所属を貫徹すれば大したものであり、党利党略だけの松井維新をきっちり批判してみなさいと言いたい。もちろん、「戦争発言」の罪は議員辞職しても決して消えない。

2019年5月3日金曜日

フクシマをなかったことにする令和への代替わり

 この数日はテレビも新聞も見る気がしないほどの堕落ぶりである。平成の事件振り返り番組からフクシマは消えたと友人からのメッセージが届いた。『広告付けと政権忖度で原発事故をなかったことにする』テレビ界の実態を教えてくれた。令和への代替わりもその一環なのだろうか。そして、はしゃぎ回る人々を映し出している。この人たちは自分が写った映像をこれからも大事にし、自慢し、ものを考えないのだろうか。別のメールは教えてくれた。福島11市町村の避難者数は2月末現在で、県内避難者が48000人、県外避難者が18400人、合計66000人だと。帰還者の比率は17.3%にしかすぎないと。福島以外の避難者を加えれば10万人くらいにはなるだろう。避難者には計上されない県外大学進学者や県外就職者という形の避難者もいる。福島原発崩壊の被害は現存し、オリンピックくらいでは忘れ去られない。すべてをないことにする安倍政権とその下僕のマスメディアが令和と騒いでいるのだと冷静に見て、市民はこれからの我が国を考えなければと思う。今日は憲法記念日である。

2019年5月1日水曜日

国旗を揚げた家はほとんどない

昨日の本欄で天皇の死のあとの皇居前の見聞録を書いた。その日の午後には京都に戻り、友人に運転してもらって市内を走り回った。目的は天皇の死を悼んで国旗を半旗でかかげている家がどれほどあるのかに関心があったからである。2時間近く走った割には数えるくらいしか半旗を見なかったし、千本通には結構あったが、それ以外の大通りにはわずかであった。新天皇が誕生した今日は国旗を出している家はどれくらいかと注意して運転してみたが、ほとんどなかった。テレビの中で騒いでいる人種は特殊な人たちなのか、または国旗を持っている家が少ないから見られないのかも知れないが。テレビの中だけが大騒ぎをしている新天皇即位と新元号の初日だった。いずれにしても、雨の中で京都の街は外国人も含めて観光客がはしゃいでいた。

2019年4月30日火曜日

平成が終わると大騒ぎの不思議な夜

テレビも新聞も見る気がしない。平成から令和まであと何時間何分だと騒いでいる。「君は昭和xx年、平成XX年には何歳で、何をやっていたのか」と問われてもまったく答えられない。その時に何歳だったのかがまったく分からないから、何をやっていたなど分かるはずがない。生年月日と敗戦だけは元号昭和でも言えるが、それ以外は無理である。昭和でも無理だから、平成年号ではまったく無理である。1950年6月25日に田舎の家で一人でラジオ放送を聞いていた。朝鮮半島で戦争が勃発したという。家の小屋で藁仕事していた父に「戦争がまた始まった」と告げた時の空が梅雨の曇天であったことを覚えている。この頃から筆者の年月はすべて西暦で記憶されている。だから昭和も平成も一度も自分から使ったことはない。だから元号年で言われてもまったくいつのことかわからないが、西暦年で尋ねられたらその年に何をしていたかは簡単に思い出し答えられる。自分にとっては関係ない世界の変化をマスコミや大衆が大騒ぎをしているのが理解できない。天皇の名で国民を何人かも分からないほどに殺したのに、なぜこの男にバンザイをしなければならないのかと子ども心に思ったのだろう。昭和天皇が死んだ翌朝、前日から仕事で上京し、皇居の前の竹橋のホテルに宿泊していた。竹橋付近の砂利の広場には大勢の市民がやって来て、砂利の上に正座し、頭を垂れていた。記録に残したいとカメラを持ち出し、近づき撮影していたら、お巡りが後ろを附いて来た。不審者と思われたのだろう。結構おもしろい写真が撮れた。そんなことを思い出しながら、2019年4月30日という今日があと1時間ほどで終わるだけの夜である。

2019年4月17日水曜日

左京区井崎敦子選挙を支援して

4月7日に投開票があった京都市市議会議員選挙の左京区選挙区で立候補した井崎さんを支援してきた。運動の中心はすべて女性陣で固めた選挙事務所はじつになごやかだった。小生は告示日までに配布が認められているチラシの各戸配布陣の一人として、左京区北部の静原や大原から南端の三条通り近くまでを雨が降らなければ、毎日どこかで各戸に配って歩いた。今から振り返ると、数千戸の郵便受けにチラシ1号、2号を入れ続けていた。時には車で、時には自転車で対象地区に出かけ、歩き続けた。京都に、左京区で活動して60年近くになっているが、これほど左京区を歩いたことはない。実によい勉強ができた。チラシの投函成果よりも地域社会を見物できたのは大きい収穫である。田畠がいっぱいあった地区が住宅街となり、その地区に昔は地主がおり、その一族が地域を取り仕切っていたことが同姓の住宅分布から読み取れた。これぞ社会学だと思いながらのポスティングには飽きがこなかった。選挙結果は残念ながら落選であったが、2989票を得た。有効投票総数の5.5%だから、無名の無所属新人としてはりっぱである。この新人の影響だけとは言わないが、国民民主党の現役2名、立憲民主党の新人が落選した。昨年4月の京都府知事選で「つなぐ京都」を提唱し、市民と野党連合の候補者が共産党以外の全政党が担いだ候補者をこの左京区では上回ったことも併せて考えれば、左京区の良識は捨てたものではない。今回ももう少し早くから立候補を表明し、政治活動を展開していればと悔やまれるが、女性陣が前面に出て闘った結果は今後の市民活動に大きな自信となっただろう。その支えが少しでもできた男性陣もお疲れさまでした。