2014年5月18日日曜日

福島大学学長の嘆かわしき勘違い

福島民友(2014年5月13日)によると『美味しんぼ」の中で、福島大学の荒木田さんが「福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、できないと私は思います」と語る場面について、福島大学学長が「個人の見解であり福島大としての見解ではない」と文書で表明したとある。こんなことをわざわざ言うまでもないことであり、研究者は常に自分の見解で生きているのであり、学長のお墨付き等をもらうものではない。学長はさらに「多方面の方々にご迷惑・ご心配をおかけしていることについて大変遺憾。教職員には、大学人としての立場をよく理解した上で行動、発言を行うよう、注意喚起していく」と表明したという。学長が個々の教員の発言に注意する権限などなく、研究者同士として議論したいと申し込めるだけである。『美味しんぼ」での荒木田発言が自身の考えどおりならば、学長の発言等に臆することなく主張し続けてもらいたい。学長は何でも教員に命令できるかのように錯覚している風潮が全国に蔓延しており、嘆かわしき大学の状況である。

2014年5月16日金曜日

『美味しんぼ』の表現は間違ってなどいない

『美味しんぼ』の「原発事故と鼻血の関連」が話題になっている。なぜ官房長官までが騒いでいるのか。放射能による人体被害の全容などはまったく分かっていない。にもかかわらず、「放射能と鼻血の関係などない」と言い切る非科学的科学者のなんと多いことか。もしもコメントを求められたら、「そのよな訴えをよく耳にするから、研究者や医者はその関係を調査研究する必要がある」と答えるべきである。科学がなにもかも説明できるなどと思ってもいないのに、説明できるかのように振る舞うのが研究者だと思っている輩が多すぎる。この現象は農薬被害の問題でも同じであった。農民や住民の農薬中毒の全国的な調査など一切されてこなかった。とくに農民の低濃度農薬汚染の中毒症状を箇条書きにすると、各症状とも風邪の症状に類似しているからと消去されて、中毒ではないと結論づけられ、捨て去られた歴史が我が国にはある。放射能被害もまたそのように、もっと強圧的に捨て去る企みがなされている。この『美味しんぼ』は当然の表現だと声を上げなければと思う。