2014年8月9日土曜日

フクシマを語らない大学教員

今年も京大での3日間の集中講義が終了した。30人ほどの学生を相手の15コマ分の講義である。講義名は環境毒性学で、1992年に開講した科目であり、退職後も集中講義の形で依頼されている。もうボチボチお払い箱になっても良いのではと思いながら、学生に接する機会と引き受けてきた。今年も福島からの避難者の方に1コマをお願いして話してもらった。原発被災者の話を学生が直接聞くことはほとんどないというから、この3年間続けている。学生は大きな衝撃を受けたようで、私の講義よりも価値あるコマであった。京大の学生に、この3年間、同じ質問をしている。それは、「講義の中でフクシマの話、原発の話を聞いたことがあるか?」とか、「講義の専門性と関連させてフクシマを話してくれた先生はいるか?」と訊ねてみている。答えは「ない」である。もちろん調査数が少ないのは承知しているが、どの大学でも同じで、先生方はフクシマは自分と関係ないと思っているらしい。あるいは「講義とはそんな世間のこととは関係ない崇高なことを教えるものだ」と思っているのだろうか。今、フクシマを語らずして何を学生に伝えるのだろうか。もちろん1科目15コマ全部をフクシマに使おうなどと言ったいるのではない。1コマでも半コマでもよいから語ってしかるべきではないだろうか。それが教育に携わる者としてフクシマの総括に繋がる過程であろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿