注目された京都市長選は現職の勝利で終わりました。残念ながら「つなぐ京都2020」の福山候補は負けましたが、多くの成果物を残してくれました。
この選挙戦中に来洛した河野太郎の街頭演説を友人が録音テープお越しを送ってくれました。中東に自衛艦を派遣した防衛大臣です。どのように皆さんは読まれますか。
『私は学生時代、当時まだ共産主義の国であったポーランドに半年、留学をしていたことがございます。共産主義の生活というのはどういうものか、自分の目で見たかった。自分で体験をしてみたかった。そう思って、当時共産政権下のポーランドに半年留学いたしました。街は灰色、色がありません。街を歩いている人の顔に表情はありません。食べ物は毎日、じゃがいも、赤カブ、酢漬けキャベツ。ソーセージを買うのに配給の切符を持って一時間並ぶ、あたりまえでした。文化も芸術もイデオロギーに反することはできない、そうやって国民の生活の中から色を失わせていく。それが共産主義の実情でした。みんなが平等といいながらも、共産党の一部の特権階級の人だけが、たいへんいい暮らしをしている。みんな平等だけれども、一部の人はもっと平等、そういう共産党政権の欺瞞も目の当たりにいたしました。
その共産主義、私がポーランドにいたのは1984年でしたが、89年にいっせいに崩壊しました。ハンガリーが国境を開いて人々が自由に往来できるようになったとたんに、東ヨーロッパの共産主義の政権が全部倒れ、ソ連が崩壊し、ソ連と東ヨーロッパから共産主義が一掃されました。それが1989年です。そこから30年たちました。この30年の間に共産主義の現実がどういうものか、だんだんわれわれの頭のなかから薄れていってしまった。私は非常に危険だと思っています。
共産主義から逃れるためにどれだけ多くの人が命を落としたか、共産主義の政権を倒すためにどれだけ多くの人が命を落としたか。20世紀の後半は、共産主義政権との闘いだった。そして冷戦をへて共産主義が崩壊をした。その共産党をもう一度政治の場に戻してはならない。私はそう思っております。一つの地方選挙ではありません。そういうかつて、われわれが一生懸命闘った、その記憶を消してはいけません。イデオロギーに文化も芸術も市民一人一人の暮らしもなにもかもイデオロギーに従わせる、そういう政治をこの京都に戻してはいけない、そういう戦いでもあると私は思っております。
今回の京都の市長選挙は門川市長がこれまで3期12年間しっかりとやってきた京都のまちを、経済を、活性化する、それを、総仕上げをする、次の4年をつくるための選挙であります。そして、この京都のまちに共産主義の市政をつくらない、イデオロギーになにもかも従わせるような政治を京都のまちにもってこない、そのための闘いだと私は、思っています。』