京都新聞2024年2月17日
これほど驚いた新聞記事も珍しいので、これを契機にして駄文連続の「ホッパラの日々」を再開します。去年の4月から休んでいるとは、執筆者本人がびっくりしての再会です。これからもお付き合いください。
何にびっくりしたかといえば、2月17日の京都新聞朝刊に「立民福山氏「共産党市長で連携できるか」なる記事が掲載されていた。京都市長選挙は2月4日が投票日だから有権者の投票行動に影響を与えないと思って掲載かもしれないが、こんな演説を1月29日に中京区の松井候補の演説会場で福山哲郎が話したという。応援演説に福山哲郎が立ち、能登半島地震を引き合いに「万が一のことが京都に起こったら、府警に出動してもらうのは府との連携。自衛隊に出動してもらうのは国との連携。共産党の市長でできますか」と発言、府や国との連携の重要性を訴えた。災害時の出動要請などは府知事だけの責務かどうかは知らないが、自衛隊法では災害派遣要請は知事らの権限で、京都府知事西脇は首長の政治色や政党とは関係がないとの立場を示しましたと記者に言っている。当たり前のことで、何も知らないか曲解ばかりする福山国会議員とは違うぞと言っている。
2024年の新年度からの京都市長を選ぶ選挙が2月4日にあり、深夜に決定した。自民公明が推薦する松井という元官僚が当選した。京都市の旅館の息子だそうだが、京都市のこの間の苦難など知っていそうもない人物だが、この16年間に亘って市長を勤めてきた門川大作の後をつぐことになった。筆者は門川市政の質の悪さを十分知っていたから4年前の市長選でも福山和人を支持し、今回も立候補した福山の選挙事務所の主要なメンバーに入れてもらい、長い選挙戦を終わった。結果としては、今回も敗戦であったが、多くの市民が選挙活動に参加し、今までにない選挙が実現できたと思う。このサイトで、選挙中に感じたことを次回から記載する予定である。
市会、府会議員選挙が終わって、維新の躍進が話題になっている。京都も近畿全域も維新議員が増加し、当然のこととして 国民民主や立憲民主が恥もなく維新にすり寄っている。国民民主と維新がくっつき出しており、立憲民主ははじかれたとの噂話がしきりである。国民民主はもともと維新に近く、ポーズだけは革新的であるだけで、もはや右翼に近いと思う。もちろんこれは筆者の判断でしか過ぎないが。これからの選挙ごとに接近、離反、拒否などの動きが続くだろう。京都では以前からの傾向で、自民公明の後ろでバンザイをする国民や立憲を見てきたから別に驚くことはなく、この両者の堕落は底知れない。小生が初めて選挙応援をして社会党の市会議員になった人物は国民民主に入り、堕落の一途だった。立憲民主もその道を歩んでいると批判したら、立憲の中心人物からの返事はいつも「京都は別だ」であった。もう付き合うことはないと思っている。新しい市民運動の中で、新しい民主主義に徹した仲間を創り出したいものである。
今から10年以上も前のことであるが、円山公園で3月に開催する、筆者にとって極めて大事な福島原発被災者連帯の反原発集会の記事を一切書いてくれない朝日新聞に抗議する行動として購読を中止した。そして、京都新聞に切り替えて現在に至っている。原発再稼働の上に原発寿命を60年に延長した岸田内閣批判もきっちりやってくれていると京都新聞を評価している。しかし、今回の自治体議員選挙での記事には失望した。自民、公明、維新、国民、立憲、共産、京都党などの政策を並べて評価する記事を何回も掲載したが、そこには無所属に分類される候補者が掲げている、既成政党よりも充実した政策に言及することも批判することもなく、存在すら葬り去った。無所属議員の政策の掲載も評価もなしであった。京都新聞からすれば政党に所属しない候補者の存在は認めないという方針が貫かれているとさえ思えた。無所属とは政党を名乗らない候補者を分類し表現する言葉であって、存在しないのではなく、今の既成政党へはどこにも入らないで政治活動をやるという意思表示である。昔、学生運動が盛んな時、中核だ、革マルだ、社青同などと学生運動を表現した中で、無党派・ノンセクトという学生たちの存在表現をマスコミは好んで使っていた。京都新聞も使っていただろう。それが制度政治になるとそんな存在を認めないというのだろうか。無所属候補者の方が、今回の選挙戦の中では、よっぽど政策をはっきりと表明していると京都新聞は思わなかったということなのだろうか。重要政策への態度表明をせずに政党名と候補者名を連呼していただけの候補者批判もやらないで、政党間の争いだけが選挙だと思っているとしたら、マスメディアとして恥ずかしい振る舞いである。
2023年4月9日に選挙運動は終了し、10日の投票日は井崎陣営の人々は開票が始まるまで静かにこの選挙戦を思い出しながら自宅で過ごしていた。夕方から筆者も事務所に出かけ、開票結果を待っていた。22時になっても、23時になっても開票は左京区については進まない。11日の午前1時になってやっと開票は終結し、我々の井崎候補は3760票を獲得し、8番目の当選者となった。賑やかに、握手と包容で喜びをみんなが表現して午前2時解散した。一眠りしたとはいえ、午前7時過ぎには起床し、無所属新人議員の誕生までを思い出し、お祝いの電話やメールに対応して、午後には選挙事務所に出かけた。
仲間の中には初めての選挙運動参加者もいるが、多くの仲間は4年前の敗北を経験している。そして、筆者はといえば、1991年の4月に京都市伏見選挙区で、高橋幸子さんという市民運動の仲間を候補者にした市会議員選挙で敗北し、選挙戦の戦略の失敗の原因を痛感して、自らが中心となる選挙はその後はしなかった。そして井崎さんを候補者にした4年前の選挙でも、今回の選挙でも候補者とその女性仲間の下で、事前運動では左京区という広い選挙区の北部地区でのチラシ投函を請負い、毎日2万歩以上を歩き、チラシを各戸に入れてきた。集会では逃げられずに喋らされたこともあったが、年寄りの演説下手を晒さずに選挙戦を終わり、少しだけ無所属議員の誕生に貢献できたと思う。
全国政治の野党である立憲民主や国民民主は、京都では自民公明の知事や市長陣営に加わり、それを批判すると「京都は別だ」と宣う。もはや節操のない彼らと付き合うのを止め、首長選挙では共産党や社民党が推す候補者を支援してきた。そして、市会や府会議員選挙ではなんとか無所属候補が立ち上がってくれると応援してきたが、当選までは至らなかった。そして、今回の選挙で悲願を実現できた。これからは彼女の活動支援を展開し、京都の重要課題を解決する市民運動を続けようと思っている。
地方自治が崩れて行く。地方が崩して行くのか、中央が自治を壊して行くのかと自問自答してきた4年間。結論は中央が主導し、地方が従順について行き、住民が置き去りにされているだけのことだと分かってきた。一矢を報いる種々の運動を展開しなければと、北陸新幹線京都延伸計画を白紙撤回させる運動をこの3年間展開してきた。その仲間の一人が京都市左京区という選挙区で市会議員選挙に立ち上がった。そして選挙日程も終盤の今日。小雨の中を選挙カーも休まずに出発して行った選挙事務所でこのコラムを書いている。候補者は井崎敦子という女性であり、4年前の挑戦を質を高めて今日も有権者に問いかけている。既成政党の地方における自治を蔑ろにする態度は許せないと頑張っている。特に京都の野党の不甲斐なさ、節度なさは悲しい限りである。彼らが使う言い訳は「京都は別だ」である。自民公明の後ろでバンザイをする立憲民主と国民民主を何回見たことか。悲しい光景からけしからん光景と京都市民の怒りの代弁者として井崎さんが頑張ってくれている。あと2日の選挙戦を乗り切り、自公の市民を無視する市行政の変革の一歩を始めたい。ぜひ井崎敦子を支持してください。