2018年5月16日水曜日

京大立て看、今度は警察に頼むのか

「撤去の立て看板 持ち出し再設置」、「厳正な対処検討」「被害届提出へ」
防犯カメラをチェックして、大学が撤去した学生の立て看を運び出して再設置したことを確認したという。そして被害届を警察に出して刑事事件とするという。もはや教育機関の資質を喪失したとしかいえない。公道上に置いているノボリ旗を京都市は撤去できないというのに、京大はなぜ無断で撤去できるのだろうか。仮に撤去できるとしても、設置者(学生)と十分な話し合いをした後でことだろう。まして、公道上のものも、京大敷地内のものも、区別することなく強制撤去できるとした京大当局の責任者には説明責任があるだろう。大学当局という一般名詞ではなく、役職と氏名を名乗って説明しなければと思うのだが。記事の中で、京大職員と呼ばれている人たちにはなんの権限もないだろう。京大当局よ、肉声で学生達に話しかけるべきではないのかな。

2018年5月15日火曜日

京大立て看騒動/構内の立て看も撤去されていた。きれい好きの京大!?

立て看が撤去されたと京都新聞の朝刊で読んだので、事務所に行く途中で今出川を通ってみた。理学部入り口の生け垣(構内)に立てかけてあった農薬ゼミの立て看も撤去されていた。京都市の景観条例とは関係ない個所であるが、これを機会に立て看はすべてなくすだけの行為だったようである。やはり、京都市景観条例を利用しての学内掃除であった。しかも、現執行部は学生に対して肉声で説明することは一切しないままである。張り紙で通達を出せばよいと思っている。時計台を頂点とする株式会社であり、もはや教育機関としては失格である。喋り合うことが教育の土台であることを忘れた者は大学という教育機関に居る資格はないだろう。

2018年5月14日月曜日

京大の立て看強制撤去事件に思う


以下の文章はある学生から要請されて書いたものであるが、今朝(5月14日)の京都新聞を見たら「京大の立て看撤去」の記事があった。昨日のあの土砂降りの中で強制撤去されたという。そこで下記の文章を本ブログにアップすることにした。門川市長の発言も強制撤去行為も信じられないとしか言いようがない。学生諸君、この事件から多くのことを学んでほしい。

京都大学の立て看がなぜダメなのだろう?

 5月10日の各紙には、「2007年の条例施行後に約3万件の屋外広告物が撤去・是正された経緯に触れ、大学だけを例外とするわけにはいかない。市民の共有財産である景観を守り、突風で倒れる危険性も考慮しないといけない」と門川市長の談話が掲載された。それならば、なぜ10年以上も京大の立て看を放っておいたのだろう。京大の立て看は去年から現れたものではなく、そこに立て看があるのは普通の景観だと地域住民が認識している事象である。その百万遍交差点から北に行くと何本ものノボリ旗が立っている。直径が40センチもあるコンクリート・ブロックに支柱を立て、ノボリ旗が括られている。511日の百万遍から里ノ前交差点までで15本もある。1ケ月ほど前に景観条例関係部署に電話をして、このようなノボリ旗は放置しておいて京大の立て看撤去とはどういう意図なのかと聞いた。このノボリ旗も違法であり、注意勧告を出してはいるが撤去されないとのこと。510日にも電話したら、なんども注意するが、担当部署には強制撤去する権限はないから、何度も、何年も言い続けるだけだという。歩道の一部を占拠しているノボリ旗を立てた主はそこの商店である。ならば、商店街組合に対応させたらよいのではと尋ねると、あくまで個別商店のものだから、そのような対応はしないし、個々の勧告の詳細はプライバシー保護のため教えるわけにはいかないと言う。ならば、京大周辺の立て看はそれぞれの団体の所有物であるから、撤去が必要なら、それぞれの団体に言うべきであって、京大という組織は関係ないのではと尋ねると明快な回答はなかった。これが立て看撤去を京大に申し入れた京都市の担当係長とのやりとりである。立て看が接地しているのは公道であり、京大の敷地ではない。立て看が寄りかかっている支点が京大の石垣であるというだけである。なぜ、京都市は京大に撤去を申し込んだのだろうかと不思議である。ひょっとすると、立て看をなんらかの理由で撤去したいと考えた京大執行部が京都市に「撤去勧告を出してくれ」と頼んだのではないのかと疑いたくなる。個々の立て看が条例のどの規定に違反しているのかも明示されてないし、京大も個々の立て看について、違反事項を明示せずに、公道に接地していないものまで、一律に同じ内容の警告文を貼っているだけである。

2018年5月13日日曜日

こんな本を出版しました。



こんな本を出版しました。読んで頂ければ幸いです。

   「現場とつながる学者人生 〔市民環境運動と共に半世紀〕
                 石田紀郎著、藤原書店出版」
出版社からの紹介文から。
「省農薬ミカン、合成洗剤、琵琶湖汚染、アラル海消滅、フクシマ……
農薬の害と植物の病気に苦しむ農家とと
もに省農薬ミカンづくりと被害者裁判に取り組み、「表面のきれいなもの、大きさの画一なもの」を求める消費者の意識から変えようと生協を立ち上げた京大教授がいる。琵琶湖畔に生まれ、琵琶湖汚染、アラル海消滅問題に関わり続ける。常に「下流から」の目線で、大学に身をおき、現場に寄り添う――公害、環境と社会の問題に取り組み続ける半生記 」                           

2018年5月6日日曜日

連休明けに何が起こるかと

京都府知事選の投票日は4月8日であり、残念ながら敗北したが、8万票差まで詰め寄る大健闘であった。いままでの共産党だけの候補者ではなしえなかった闘いが市民運動との連帯連携でできた。西脇陣営の祝勝イベントの万歳風景の第2列に野党の国会議員が並んで両手を挙げている様は、祝勝ではなく縮小する惨めさを自演しているようだった。国政と自治体選挙は違うと言い訳する前原や山ノ井や泉の顔が見えた。さて朝鮮半島をめぐる動きの真意と真相を筆者にはまだまだ理解できないが、大きな動きになるのだろうか。昨日は南西諸島をめぐる自衛隊の軍隊仕様の現実を講演会で勉強してきた。戦争法や改憲は我が国の平和主義を根底から崩壊させるものであり、その最先端を南西諸島での自衛隊という軍隊の軍事行動として把握しなければと思う。連休明けの政治の動きに一層の注意と身構えをと思う。