2016年11月22日火曜日

今年最後の左京フォーラムに参加をー軍事研究を問う


第12回左京フォーラムにぜひご参加をお願いします

池内了さんの講演
○科学者の魂を軍事に売り渡すなー急進展する「軍学共同」
○11月27日(日)午後2~4時
○京大農学部W100教室
○参加費無料、有志カンパあり
○主催:戦争をさせない左京1000人委員会
連絡先:市民環境研究所(075-711-4832)


2016年10月14日金曜日

これが京大? 回答はしないで、お上への報告書はこっそり訂正?

7月1日発生の京大病院旧産婦人科病棟の放射線管理区域での失火による火災とその後の原子力規制委員会への「届け出」書類の内容について8月24日に質問書を京大に提出した。差し出し人は「市民環境研究所 石田紀郎」である。1ヶ月半も過ぎたのに京大からの回答がない。そこで、窓口になっている人物に電話して回答を催促した。彼の答えは「京大ホームページに掲載している原子力規制委員会への届出書の訂正版」が回答だと言う。書面で出した質問書に回答書も出さず、仮に質問した事項を検討し、間違いを気付き届出書を訂正したとしても、それは回答したことにならないだろう。まして、回答書をHPに掲載したなら質問者にその旨を伝えるのが当たり前だろう。この対応にはさすがに呆れ返った。この対応を決定した数名の人物の名前を聞いたが、彼らがどのような資格と権限を持っているのか、なぜそのような京大の対応を決定できるのかの説明を窓口もできなかった。腐り行く組織の典型を見る思いであった。

2016年8月1日月曜日

京大の届出文書と原子力規制委員会の関係ー書いただけ受け取っただけ

京大のホームページには「京都大学医学部(病院RI実験施設)における火災についての危険時の措置の届出」と題する文書が公開されている。この文書の中味を検討するために、規制委員会に1)届出書類を受け取ったか 2)その内容の妥当性,整合性をチェックしたか 3)その文書の公開に同意したか と訊ねてみた。最初は「京大の届出に関して当委員会はチェックして間違いがないと判断したから公開したはずと回答」したが、数時間あとには、届出を確認しただけで審査はしていない。今後も内容のチェックをすることもない。記入形式が間違ったりしていたら指摘するだけである」との最終回答を得た。 どうも頼りない経過ではあったが、中味の整合性などはどうでもよく、放射性物質を使用していた研究室で火事が発生したが、室外には放射性物質は飛び出さなかったと京大が伝え、委員会はなんの検討もなく、それはよかったと無責任に返事し、文書は今後も書類の山の中で放っておかれるだけのようである。電話の相手は 03-5114-2190(コールセンターと名乗っていた)である。かくして、住民が何を問題にしているかなどは規制委員会にとって「知った事か」で終わりである。近い内に第2回目の申入書への京大からの回答が届くとのことで、その回答を申し入れ団体と一緒に検討したいと思っている。

2016年7月26日火曜日

京大と京大病院は住民に対して説明責任を果たしなさい


京大研究室火災の情報公開を求める住民連絡会が京大に再申入書を今日提出された。その詳細は住民連絡会のホームページで確認してください。市民環境研究所も本申し入れに同意して賛同団体の一員になりました。京大の前回の回答は火災と火災の影響を理解するためには不十分なものであったので、今回は賛同団体として参加した次第。その上に、京大が原子力規制委員会に提出した「京都大学医学部(病院RI実験施設)における火災についての危険時の措置の届出」を入手し、中味を吟味しているが、非常に分かりにくく、結論が先にありきで論が展開されている。今回の再申入書でも触れられているが、京大の回答次第では規制委員会への届出書についても議論をしなければならないと思っている。みなさんもこの二つの書面を読んでください。

2016年7月12日火曜日

京大火災の情報公開を求めた住民への回答ー相変わらずの不遜さ

「京大研究室火災の情報公開を求める住民連絡会」が提出していた申入書への回答が京大と京大病院から届いたという。そのコピーを連絡会の方が持ってきてくれた。一応、全質問に回答されているが、相変わらずの不遜な態度しかない。お詫びの文書を近隣住民の顔を見ることなくポストに投げ込んだだけと同じ不遜さである。連絡会の感想なり反論が公にされていないので本ブログの反論は今日はしない。それでも1項目だけ述べるとしたら、あの旧産婦人科病棟のどの室を使用し、どこから出火したのかを示す図面くらいは添付しておくのが常識だろう。1部屋だけを使っていたのか、2部屋以上を使っていたのかも分からない。 

2016年7月9日土曜日

放射性物質は屋外に飛散しなかったのだろうかーぜひ立証を

 火災発生から3日が経過した7月4日の午後になってようやく医学部附属病院 稲垣暢也 病院長名のコメントが発表された。その中で、「放射線による周囲への影響につきましては、消防署及び本学環境安全保健機構放射線管理部門が測定した結果、外部には拡散していないことを確認しております。」と記載されている。そして、その証しとして、「建物外部の放射線については、自然界と同レベルであることを確認しています。7月1日 20 30 分頃 当該実験室に面した屋外で 0.1 マイクロシーベルト/h 以下」と書かれている。計測値そのものを疑う気はないが、猛烈な火炎が窓を突き破って屋外に噴出していた時点での計測値はないのだろうか。そのような測定ができるとしたら、消防隊以外にはない。京大病院が位置しているのは左京区であるから左京消防署を訪ね、当時の様子をお聞きしてきた。ここだけでは不十分であるので、京都市消防局にも出向き、消火活動と放射能測定の実態を詳細に聞くことができた。現段階で詳細を公表しないが、7月11日に市民団体への回答を京大が行うと側聞しているので、その回答を拝見して考察したい。ネット上には発生直後の火炎の状況写真が掲載されているのでその一枚の画像を借用する。このような猛火の中で放射性物質を入れた容器や実験道具はどのような状態で室内にあったのかを京大病院は詳細に説明する義務があるだろう。そうでないと、病院長が言うところの「外部には拡散していないことを確認」も「今後は火気等危険物の安全な取扱いを徹底し、再発防止」もできないだろう。




2016年7月8日金曜日

京大と京大病院の横柄さー詫び状とホームページから

7月7日の夕方に知人との電話で京大の職員らしい人物がお詫びのチラシなるものを持参して出火お詫びに来たと分かった。1日の火災発生から6日後である。持参したのは京大のホームページに掲載されている「当院旧産婦人科病舎で発生した火災のお詫びとご報告について」と題する病院長の文書の左上に「近隣住民の皆様へ」を付け加えただけのものである。これを作成するのに3日間、持参するのに3日を要する京大のお粗末仕事ぶりである。それでも届いたからと怒りながらも納めてくれる地域住民の寛容さを京大は学んだのだろうか。
 さて、小生があまりのお粗末さに怒りの電話を入れたのが4日の午前9時、それから始まったとしか思えないお詫びのドタバタはここで切り上げて、お詫びの中味吟味の段階に入ろう。「放射線による周囲への影響につきましては、消防署と本学環境安全保健機構放射線管理部門により測定した結果、外部には拡散していないことを確認しております」と書かれている。しかし、「いつ、どこで、どのような火災の状況下で、誰が、どのようにして」測定したかは何も書かれてなく、すぐさま「外部には・・・」では小学生でも説得できないだろう。上記の長い名前の部門による調査の結果が文末に記録されているが、測定は7月1日の20時30分頃と23時10分頃である。火災発生は18時17分、鎮圧は18時45分、鎮火は22時00分である。さて、放射性物質が入った容器の質と量、どこに、どのように置かれており、鎮火した後の容器と放射性物資の存在形状はどんなものだったのだろうか。ぜひとも、京大ホームページで説明していただきたい。
  

2016年7月7日木曜日

誠意のなさがここまでとはー京大病院火事おわび

せめて近隣の住民へのおわびをと要求したのは7月4日の朝である。火事は7月1日であるから人々に迷惑をかけてから3日後である。その日の夕方にお詫びチラシの投げ込みというお詫びをしてくれた。誠意の無さもここまでかという行為である。ところが、6日の夕方になっても音沙汰がないと知人から電話。京大病院の総務課に電話すると、その通りである。明日にはしますよと総務課長は宣う。どんな遠方かと思われるだろうが、すぐ側である。病院敷地角から小学生が投げてもボールが届く距離。
  これから火災時の放射性物質の状態や屋外飛散の調査結果が公表されるだろうが、このお詫びの経過を見れば信用できる調査が実施される、されたとは思えない。京大内の通称”RIセンター”が調査をやるらしいが、まさか京大身内だけの調査チームではないでしょうね。

2016年7月6日水曜日

京都大学火災事件ーお粗末としか言えない京大の態度

 7月1日午後6時過ぎに発生した京大病院構内研究室の火事は消防車24台の出動で消し止められた。この火事に京大がどのような対応を取るのかと京大本部や医学部病院のホームページを観察していた。しかし、消火から3日目の7月4日朝になっても何の表明も見当たらない。火事現場から50mほどにある知人宅に電話を入れると京大からは何もないという。4日午前9時頃に京大広報課に電話を入れると大学本部ではなく、病院の総務課が対応しているという。仕方なく病院に電話すると、近隣住民にはなにもお詫びしていないという。
 自らの過失で出火させた当事者機関が、3日間経っても周辺住民になんのお詫びも説明もしていないとは信じられない態度である。もし、京大職員の自宅で火事が発生させたとして、3日あとになっても隣近所にお詫びをしないなら、その家族は地域から追い出されるであろう。京大ならなにもしなくってもよいと思っているのかと声を荒げて抗議したら、夕方にはお詫びチラシを近所に持って行くという。チラシがどういうものかは分からないが、昼頃に京大ホームページを見るとお詫びと称するお知らせがあった。たぶんこの程度のものかと思っていた。夜になって知人に電話を入れると、お詫びと称するチラシが2階に住む人のポストには入れられていたが、1階の知人の店には誰も訪ねて来ないし、チラシも入っていないという。
 京大病院のお詫びとは、面談ではなく、バーゲンセールの宣伝チラシ並みのポスティングということらしい。さすがに、穏健な知人も怒っていた。店を開いていた商店街でも同じだという。京大とはかくもお粗末・無礼な大学らしい。昔はそうでもなかっただろう。そのチラシの中味にも大いに問題があるが、その点については明日にでも書こう。まずは、京大よ、地域社会と共にあるといつも言っているのなら、もう一度、もう少し人間らしいお詫び文を近所にだけでも、ポスティングではなく、手渡ししたらどうだろう。
 かつて、今回の出火地点の西側にある薬学部でガス漏洩事件が発生したとき、発生源が不明のために近隣住宅もガス使用を中止して漏洩源を探した。結局は薬学部のある研究室が漏洩源と分かり、そこの先生方は即刻住民宅を一軒ずつお詫びに回った。これが地域とともに存在する組織とその構成員の対応だろう。

2016年7月4日月曜日

京大本部と付属病院は火事をまず近隣に詫びるべき

7月1日午後6時過ぎに車で東大路を百万遍に向って車で移動していた。叡電元田中の踏切で火事の現場に向う左京消防署の消防車3台が遮断機で止められていた。南の空には黒煙が相当高くまで上がっていた。百万遍で左折し農学部に向った際、開けていた窓から火事の煙が車内に入り、薄められたとはいえ黒煙を吸い込み、臭いを感じた。京大付属病院での火災発生直後の一風景である。研究室でとのことで、放射性物質を使用している実験室で爆発があったと翌日に知った。火災時には空気中の放射能が0.5μS/hrに上昇していたと新聞は伝えた。その実態は未だ不明であるが、たった一つ明らかなことは、大騒動の火災を発生させながら、京大本部と病院のホームページには、事実経過と謝罪が表明されていない。今は7月3日の夜中だから2日以上経っている。火災現場は西に薬学部、北に医学部があり、北西方向には民家が並んでいる。その地区の知り合いに聞いてみたが、京大から大騒動を起こしたお詫びはないという。延焼も飛び火もなかったとはいえ、近隣に謝るのが地域の一員の礼儀だろう。ホームページにも一行も書かれていない。猛省を促したい。もちろん今後は、事故の原因と結果を明らかにし、とくに放射能放出に関する調査報告の義務がある。文科省にする前に、まず周辺住民、左京区民、京都市民にむけてであることを京大は分かるかな。

2016年6月26日日曜日

これが安倍政治の本質だろうーぜひご覧ください

昨日(6月25日)の市民環境研究所と左京フォーラムの講演会には100名を超す参加者がありました。感謝。 講演会の詳細は後日まとめますが、見せていただいた動画は安倍の本質を表したものでしょう。ぜひご覧ください。真ん中で拍手している安倍の自民党を勝たせますか。https://www.youtube.com/watch?v=h9x2n5CKhn8

2016年6月24日金曜日

中央アジアを語ろうー明後日26日サロン中央アジア再開

”サロン中央アジア”を6月26日(日)午後2時から市民環境研究所(京都市左京区里ノ前)で開催します。
中央アジアに関心のある方ならどうぞ来てください。情報交換から新しい中央アジアとの関係を創りましょう。すでに出かけた経験のある人もない人も区別なしで。市民環境研究所のホームページで会場を確認してください。

2016年6月18日土曜日

国際ジャーナリストが斬る!マスコミが報道しないこと

市民環境研究所を設立してから13年にもなります。この間、多くの環境問題の議論の場として活動し、現在は福島原発崩壊と日本の政治社会の崩壊にどのように対処していくかが活動の中心となっています。そこで、下記の講演会を総会記念として開催しますので、お越しいただければ幸いです。この講演会は第9回左京フォーラムとの共同企画です。
よろしくお願いします。
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 市民研特別講演会
  2016年6月25日(土) 午後2時〜4時
  京大農学部W-106教室(左京区北白川追分町)
  講演:エイミー・ツジモトさん(国際ジャーナリスト)
     国際ジャーナリストが斬る! マスコミが報道しないこと
  参加無料(カンパのお願いあり)申し込み不要
  お問い合わせは 075-711-4832、090-1968-8004 まで
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エィミー・ツジモトさんはフリーランス・ジャーナリスト。
母親が広島で被爆し、被爆2世として放射線の危険性を訴え続ける。
放射線被害を訴えるヘレン・カルディコット財団(米国)の日本代表として、
3.11 以降奔走している。

2016年6月15日水曜日

恥ずかしいのは東京都民ー舛添辞任ニュース

猪瀬直樹に続いて舛添が金の使い方で東京都知事を辞任すると言明。両者ともに弁明さえできない辞任である。この二人は恥ずかしい存在であるが、それ以上に恥ずかしい存在は東京都民である。2代前の石原を論評する気も起こらないが、3代続けて恥ずかし都知事を選出した東京都民こそ恥ずかしい存在であることを自覚してもらいたいものである。

2016年3月23日水曜日

3月29日は戦争法施行に抗議を!


3月29日(火)戦争法がいよいよ施行されます。
東京では国会正門前で大集会が開かれます。
それに連動して、同時刻京都でもデモを!
安保法制(戦争法)に反対する市民アクション@きょうとが主催です

18:30市役所広場集合 19:00デモ出発→四条河原→円山公園

2016年3月11日金曜日

明日はバイバイ原発円山集会ー一緒に歩きましょう

3.11をどのように過ごされましたか。私は京都造形芸術大学の東北/福島を思う美術作品を囲む集会に参加し、黙祷を。明日12日はバイバイ原発集会に出かけます。円山公園から市役所までのデモもあります。ぜひ参加してください。歩くことくらいしかできないが、歩くことは一番大事な表現だと思っています。午後1時30分から始まります。

電力自由化への市民の対応ー原発を持たない電力会社を選ぼう

少量の電力しか使わない市民の電力自由化への対応は
 1)どうせ電気料金は高くなるのだから、せめて原発に頼らない電力事情を実現するために原発を有しない電力会社を選ぼう。
 2)そして、節電で出費をできる限り低下させ、環境破壊を低下させて住み良い生活環境を維持して行こう。
関西なら関電とは縁を切り、傲慢な関電を経営的窮地に追い込み、高浜も大飯も、全ての原発を廃炉にさせよう。絶好のチャンスである。大津地裁の高浜再稼働を認めない仮処分から廃炉へと関電を追い込もう。

2016年2月25日木曜日

電力自由化で庶民の電気料金は高くなると関電も大阪ガスも明言した

今日(2月24日)の午後2時から関西電力の営業部門の社員に来てもらって、電力自由化と発送電分離とはどんな制度改革か、電力料金はどうなるのかなどを説明してもらった。2週間前には大阪ガスの社員に来てもらって同じことを訊いた。両者ともに、この制度変更では庶民の電気料金は高くなり、大口消費者は安くなると明言した。もちろん、原発廃止などの質問には答えないが、原発があることが前提である。ならば、電力自由化とは庶民にとって何なのか? 発電会社と託送電会社と電気小売り会社に分離されるようだが、3つともに関電系では関電が大株主となって支配するのかと訊ねたら否定はしなかった。さて、4月から皆さんはどうされますか。

2016年2月15日月曜日

マスメディアの今のテイタラクを考えよう


講演会が開催されます。

大ウソを言い続ける安倍内閣におそれをなしてフクシマを一切報道しなくなったマスメディア。
安保法制の目指していることを分析も解析も解説も報道もしなくなったマスメディア。
ならば我々大衆が、市民が分析し解析し解説して人々に報せよう。
それが左京フォーラム。入場料無料、ただしカンパお願いあり。


5回 左京フォーラムマスメデイア 大丈夫かい?表現の自由、中~大弾圧と憲法破壊

日時 220日(土) 開場1330 開演14001700
会場 京都大学文学部新棟 第3講義室(2F)    

話す人 秋山豊寛(元TBS/宇宙飛行士) 

   吉竹幸則(元朝日新聞記者)

司会  土岐直彦(元朝日新聞記者)

2016年1月25日月曜日

高浜で原発再稼働反対を訴えるー全国集会に参加

大雪の心配された1月24日に京都の仲間たちとバスで高浜町に行き、「高浜原発再稼働を許さない!全国集会」に参加した。原発前の集会、文化会館での全国集会、そこからJR駅までのデモは600人を超す全国から馳せ参じた仲間たちと楽しく強い行動だった。昨年の高浜から大阪までのリレーデモから始まった高浜原発再稼働阻止運動に少しだけだが参加できた。それにしても、福井県警の機動隊大動員には呆れた。一目で100人のヘルメット着用のお巡りがデモ隊を取り囲んでいた。写真を撮ろうとデモ隊を離れようとすると阻止する。過剰警備である。快晴の昼から夕焼けまで高浜で声を張り上げて帰ってきた。記念の写真をご覧いただきたい。