京大研究室火災の情報公開を求める住民連絡会が京大に再申入書を今日提出された。その詳細は住民連絡会のホームページで確認してください。市民環境研究所も本申し入れに同意して賛同団体の一員になりました。京大の前回の回答は火災と火災の影響を理解するためには不十分なものであったので、今回は賛同団体として参加した次第。その上に、京大が原子力規制委員会に提出した「京都大学医学部(病院RI実験施設)における火災についての危険時の措置の届出」を入手し、中味を吟味しているが、非常に分かりにくく、結論が先にありきで論が展開されている。今回の再申入書でも触れられているが、京大の回答次第では規制委員会への届出書についても議論をしなければならないと思っている。みなさんもこの二つの書面を読んでください。
2016年7月26日火曜日
2016年7月12日火曜日
京大火災の情報公開を求めた住民への回答ー相変わらずの不遜さ
「京大研究室火災の情報公開を求める住民連絡会」が提出していた申入書への回答が京大と京大病院から届いたという。そのコピーを連絡会の方が持ってきてくれた。一応、全質問に回答されているが、相変わらずの不遜な態度しかない。お詫びの文書を近隣住民の顔を見ることなくポストに投げ込んだだけと同じ不遜さである。連絡会の感想なり反論が公にされていないので本ブログの反論は今日はしない。それでも1項目だけ述べるとしたら、あの旧産婦人科病棟のどの室を使用し、どこから出火したのかを示す図面くらいは添付しておくのが常識だろう。1部屋だけを使っていたのか、2部屋以上を使っていたのかも分からない。
2016年7月9日土曜日
放射性物質は屋外に飛散しなかったのだろうかーぜひ立証を
火災発生から3日が経過した7月4日の午後になってようやく医学部附属病院 稲垣暢也 病院長名のコメントが発表された。その中で、「放射線による周囲への影響につきましては、消防署及び本学環境安全保健機構放射線管理部門が測定した結果、外部には拡散していないことを確認しております。」と記載されている。そして、その証しとして、「建物外部の放射線については、自然界と同レベルであることを確認しています。7月1日 20 時30 分頃 当該実験室に面した屋外で 0.1 マイクロシーベルト/h 以下」と書かれている。計測値そのものを疑う気はないが、猛烈な火炎が窓を突き破って屋外に噴出していた時点での計測値はないのだろうか。そのような測定ができるとしたら、消防隊以外にはない。京大病院が位置しているのは左京区であるから左京消防署を訪ね、当時の様子をお聞きしてきた。ここだけでは不十分であるので、京都市消防局にも出向き、消火活動と放射能測定の実態を詳細に聞くことができた。現段階で詳細を公表しないが、7月11日に市民団体への回答を京大が行うと側聞しているので、その回答を拝見して考察したい。ネット上には発生直後の火炎の状況写真が掲載されているのでその一枚の画像を借用する。このような猛火の中で放射性物質を入れた容器や実験道具はどのような状態で室内にあったのかを京大病院は詳細に説明する義務があるだろう。そうでないと、病院長が言うところの「外部には拡散していないことを確認」も「今後は火気等危険物の安全な取扱いを徹底し、再発防止」もできないだろう。
2016年7月8日金曜日
京大と京大病院の横柄さー詫び状とホームページから
7月7日の夕方に知人との電話で京大の職員らしい人物がお詫びのチラシなるものを持参して出火お詫びに来たと分かった。1日の火災発生から6日後である。持参したのは京大のホームページに掲載されている「当院旧産婦人科病舎で発生した火災のお詫びとご報告について」と題する病院長の文書の左上に「近隣住民の皆様へ」を付け加えただけのものである。これを作成するのに3日間、持参するのに3日を要する京大のお粗末仕事ぶりである。それでも届いたからと怒りながらも納めてくれる地域住民の寛容さを京大は学んだのだろうか。
さて、小生があまりのお粗末さに怒りの電話を入れたのが4日の午前9時、それから始まったとしか思えないお詫びのドタバタはここで切り上げて、お詫びの中味吟味の段階に入ろう。「放射線による周囲への影響につきましては、消防署と本学環境安全保健機構放射線管理部門により測定した結果、外部には拡散していないことを確認しております」と書かれている。しかし、「いつ、どこで、どのような火災の状況下で、誰が、どのようにして」測定したかは何も書かれてなく、すぐさま「外部には・・・」では小学生でも説得できないだろう。上記の長い名前の部門による調査の結果が文末に記録されているが、測定は7月1日の20時30分頃と23時10分頃である。火災発生は18時17分、鎮圧は18時45分、鎮火は22時00分である。さて、放射性物質が入った容器の質と量、どこに、どのように置かれており、鎮火した後の容器と放射性物資の存在形状はどんなものだったのだろうか。ぜひとも、京大ホームページで説明していただきたい。
さて、小生があまりのお粗末さに怒りの電話を入れたのが4日の午前9時、それから始まったとしか思えないお詫びのドタバタはここで切り上げて、お詫びの中味吟味の段階に入ろう。「放射線による周囲への影響につきましては、消防署と本学環境安全保健機構放射線管理部門により測定した結果、外部には拡散していないことを確認しております」と書かれている。しかし、「いつ、どこで、どのような火災の状況下で、誰が、どのようにして」測定したかは何も書かれてなく、すぐさま「外部には・・・」では小学生でも説得できないだろう。上記の長い名前の部門による調査の結果が文末に記録されているが、測定は7月1日の20時30分頃と23時10分頃である。火災発生は18時17分、鎮圧は18時45分、鎮火は22時00分である。さて、放射性物質が入った容器の質と量、どこに、どのように置かれており、鎮火した後の容器と放射性物資の存在形状はどんなものだったのだろうか。ぜひとも、京大ホームページで説明していただきたい。
2016年7月7日木曜日
誠意のなさがここまでとはー京大病院火事おわび
せめて近隣の住民へのおわびをと要求したのは7月4日の朝である。火事は7月1日であるから人々に迷惑をかけてから3日後である。その日の夕方にお詫びチラシの投げ込みというお詫びをしてくれた。誠意の無さもここまでかという行為である。ところが、6日の夕方になっても音沙汰がないと知人から電話。京大病院の総務課に電話すると、その通りである。明日にはしますよと総務課長は宣う。どんな遠方かと思われるだろうが、すぐ側である。病院敷地角から小学生が投げてもボールが届く距離。
これから火災時の放射性物質の状態や屋外飛散の調査結果が公表されるだろうが、このお詫びの経過を見れば信用できる調査が実施される、されたとは思えない。京大内の通称”RIセンター”が調査をやるらしいが、まさか京大身内だけの調査チームではないでしょうね。
これから火災時の放射性物質の状態や屋外飛散の調査結果が公表されるだろうが、このお詫びの経過を見れば信用できる調査が実施される、されたとは思えない。京大内の通称”RIセンター”が調査をやるらしいが、まさか京大身内だけの調査チームではないでしょうね。
2016年7月6日水曜日
京都大学火災事件ーお粗末としか言えない京大の態度
7月1日午後6時過ぎに発生した京大病院構内研究室の火事は消防車24台の出動で消し止められた。この火事に京大がどのような対応を取るのかと京大本部や医学部病院のホームページを観察していた。しかし、消火から3日目の7月4日朝になっても何の表明も見当たらない。火事現場から50mほどにある知人宅に電話を入れると京大からは何もないという。4日午前9時頃に京大広報課に電話を入れると大学本部ではなく、病院の総務課が対応しているという。仕方なく病院に電話すると、近隣住民にはなにもお詫びしていないという。
自らの過失で出火させた当事者機関が、3日間経っても周辺住民になんのお詫びも説明もしていないとは信じられない態度である。もし、京大職員の自宅で火事が発生させたとして、3日あとになっても隣近所にお詫びをしないなら、その家族は地域から追い出されるであろう。京大ならなにもしなくってもよいと思っているのかと声を荒げて抗議したら、夕方にはお詫びチラシを近所に持って行くという。チラシがどういうものかは分からないが、昼頃に京大ホームページを見るとお詫びと称するお知らせがあった。たぶんこの程度のものかと思っていた。夜になって知人に電話を入れると、お詫びと称するチラシが2階に住む人のポストには入れられていたが、1階の知人の店には誰も訪ねて来ないし、チラシも入っていないという。
京大病院のお詫びとは、面談ではなく、バーゲンセールの宣伝チラシ並みのポスティングということらしい。さすがに、穏健な知人も怒っていた。店を開いていた商店街でも同じだという。京大とはかくもお粗末・無礼な大学らしい。昔はそうでもなかっただろう。そのチラシの中味にも大いに問題があるが、その点については明日にでも書こう。まずは、京大よ、地域社会と共にあるといつも言っているのなら、もう一度、もう少し人間らしいお詫び文を近所にだけでも、ポスティングではなく、手渡ししたらどうだろう。
かつて、今回の出火地点の西側にある薬学部でガス漏洩事件が発生したとき、発生源が不明のために近隣住宅もガス使用を中止して漏洩源を探した。結局は薬学部のある研究室が漏洩源と分かり、そこの先生方は即刻住民宅を一軒ずつお詫びに回った。これが地域とともに存在する組織とその構成員の対応だろう。
自らの過失で出火させた当事者機関が、3日間経っても周辺住民になんのお詫びも説明もしていないとは信じられない態度である。もし、京大職員の自宅で火事が発生させたとして、3日あとになっても隣近所にお詫びをしないなら、その家族は地域から追い出されるであろう。京大ならなにもしなくってもよいと思っているのかと声を荒げて抗議したら、夕方にはお詫びチラシを近所に持って行くという。チラシがどういうものかは分からないが、昼頃に京大ホームページを見るとお詫びと称するお知らせがあった。たぶんこの程度のものかと思っていた。夜になって知人に電話を入れると、お詫びと称するチラシが2階に住む人のポストには入れられていたが、1階の知人の店には誰も訪ねて来ないし、チラシも入っていないという。
京大病院のお詫びとは、面談ではなく、バーゲンセールの宣伝チラシ並みのポスティングということらしい。さすがに、穏健な知人も怒っていた。店を開いていた商店街でも同じだという。京大とはかくもお粗末・無礼な大学らしい。昔はそうでもなかっただろう。そのチラシの中味にも大いに問題があるが、その点については明日にでも書こう。まずは、京大よ、地域社会と共にあるといつも言っているのなら、もう一度、もう少し人間らしいお詫び文を近所にだけでも、ポスティングではなく、手渡ししたらどうだろう。
かつて、今回の出火地点の西側にある薬学部でガス漏洩事件が発生したとき、発生源が不明のために近隣住宅もガス使用を中止して漏洩源を探した。結局は薬学部のある研究室が漏洩源と分かり、そこの先生方は即刻住民宅を一軒ずつお詫びに回った。これが地域とともに存在する組織とその構成員の対応だろう。
2016年7月4日月曜日
京大本部と付属病院は火事をまず近隣に詫びるべき
7月1日午後6時過ぎに車で東大路を百万遍に向って車で移動していた。叡電元田中の踏切で火事の現場に向う左京消防署の消防車3台が遮断機で止められていた。南の空には黒煙が相当高くまで上がっていた。百万遍で左折し農学部に向った際、開けていた窓から火事の煙が車内に入り、薄められたとはいえ黒煙を吸い込み、臭いを感じた。京大付属病院での火災発生直後の一風景である。研究室でとのことで、放射性物質を使用している実験室で爆発があったと翌日に知った。火災時には空気中の放射能が0.5μS/hrに上昇していたと新聞は伝えた。その実態は未だ不明であるが、たった一つ明らかなことは、大騒動の火災を発生させながら、京大本部と病院のホームページには、事実経過と謝罪が表明されていない。今は7月3日の夜中だから2日以上経っている。火災現場は西に薬学部、北に医学部があり、北西方向には民家が並んでいる。その地区の知り合いに聞いてみたが、京大から大騒動を起こしたお詫びはないという。延焼も飛び火もなかったとはいえ、近隣に謝るのが地域の一員の礼儀だろう。ホームページにも一行も書かれていない。猛省を促したい。もちろん今後は、事故の原因と結果を明らかにし、とくに放射能放出に関する調査報告の義務がある。文科省にする前に、まず周辺住民、左京区民、京都市民にむけてであることを京大は分かるかな。
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