2020年1月30日木曜日

立憲民主党京都に期待していたが-もう終わり

立憲民主の福山哲郎のツイッターを読んで、これではと。
曰く「私が門川大作京都市長候補を応援する理由は、3期京都市民とともに汗をかき、知恵を絞り、結果を出されたことを評価するからです。京都市立中・高の改革、待機児童ゼロ、・・。」と。どんな分析をし、どこにそんな評価できる基準を置いているのか。また、「選挙運動が過熱化しているとはいえ、今回の意見広告には強い違和感を覚えます」と。単なる違和感だけかと問い直したい。戦後の育んできた民主主義を根幹から破壊する表現である。「立憲民主党の市長はNO」と言う広告が出たら、福山哲郎は「違和感を覚えます」と談話を発表するだけなのか。何度もあなたと市長選や知事選などをめぐって話しをしたが、必ず言うのは「共産党と一緒にやったら政治生命がなくなるからダメだ」という文言であった。今回の市長選でも同じことを言われた。東京で、国政の場での「野党共闘」は政治生命を終わらすためにやっているのか。国民に対しても、政党に対しても、それでは失礼ではないか。東京と京都では違ってよいのか。今回も、門川の後ろでバンザイをするのか。それでは違和感を覚えるのでは、もはや真の政治生命は終わりになっているのでは。

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